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450 WWII当時の戦闘機で最優秀との評価があるP-51には弱点とかがあったのでしょうか?
K.K

  1. P47より対地攻撃に向いてない・・・とか?
    金属色は発見されやすい(当時はされにくいと思われていた)、でもこれは機体自体の弱点じゃない。
    強いて言うなら液冷って事ですね。エンジンに当ると焼け付く。


  2. ・エンジンに限らず、機体の下部にあるラジエータ、及びそこからエンジンまでの
    配管の被弾はかなり致命的です。(冷却液が漏れてエンジンが過熱してしまう)

    ・アリソンを装備したA型は高空性能が悪いです。
    ・Cタイプまでですと、後方の視界が悪いのも弱点になりますが・・・。

    SADA

  3. ↑半島動乱では、ラジエターに対空砲火を食らっての損害が結構多かったらしいです。
    巣田 夏生

  4. B,C,D型はエンジンが同一で機体の大きさも似通ったスピットファイア9型に比べて自重で約400キロから900キロも重いため,最大速度と航続距離では勝るものの,運動性と上昇力では劣っていたそうです。しかし最後のH型は徹底した軽量化とエンジン出力の向上でこれらの弱点は大いに改善されました。
    フッフール

  5. ラジエターのみならず、翼内にべたっと広がった燃料タンクも「弾食らうと燃えた」とのことで(集中打を浴びれば防漏タンクも頼りにならん)、要するに後上方から見た「弱点」の面積がやたら多かったのは、航続距離のためとはいえ、欠点に指摘されることもあります。また、重い機体を幅の大きなフラップで強引に離陸させているため、エルロン面積が犠牲になっており、低速時の横操縦性が悪かったともいいます。
    Schump

  6. パイロットの回想を読むとけっこう暴れ馬だった様子がうかがえますよね。しかし、無塗装の機体が迷彩効果を発揮するという説は、いったいどっから沸いて出たのでしょう?
    BUN

  7. ↑銀ピカが迷彩になる、というのは、高空限定の話で、遠景ゆえにただの灰色反射体となった地表面や雲の上面の反射、高層大気における背景の眩しさを前提にしています。よって、駐機中や中低空での発見を避ける必要に迫られなかったアメ公の爆撃機及びその護衛が最初にやったわけです(戦前の銀塗装は羽布やベニヤの紫外線よけのため)。一番つぶしが利くのはグレイ系統だそうですが。
    Schump

  8. ↑↑魚からヒントを得たんじゃないですか?


  9. 私は銀ピカ=迷彩効果説は根拠の無い一部解説者の妄説だと思っていましたが、米軍の無塗装が生産簡略化の為ではなく、迷彩の為だったとする資料があるのでしょうか?ぜひ知りたいのですが。
    BUN

  10. P-51のB,C,Dが登場した頃はドイツも日本も弱体化していたから迷彩塗装はほとんど必要無かったのかも。(フッフール)
    フッフール

  11. 1、
    他の米戦闘機と比較しても翼面荷重が高く、縦運動性が悪い。
    紫電改パイロット(名前亡失)の話によると、P−38の方がむしろ運動性が良くて手強く、逆にP−51は組みやすい相手だったとか。


    2、
    欠点というべきかどうかはともかく、P−51(保有資料D〜H)は額面ほどの航続距離は実質としては無い、と考えられるのではないでしょうか。
    資料によれば大体各型、標準で1500km、増曹付きだと3600km、と書かれています。この3600という数字は零戦や隼の初期型とほぼ同じです。
    ところが、
    侵攻作戦を行う場合は大雑把に言って1/3の燃料を往路に用い、1/3を戦闘に用い、1/3を復路に用いるというのが一般的でしょう。
    (で、この航続距離の1/3というのはすなわち「戦闘行動半径」ということになります。)
    とすると、戦闘開始時は増曹を捨てますから、増曹燃料は機内燃料の1/2、というのが妥当な線でしょう。ところが、ムスタングはどう考えても増曹燃料が機内燃料より多い。戦闘時は必ず増曹内にかなりの燃料を残したまま切り捨ててる公算になります。
    (零戦や隼の場合は確か増曹なしで2000km以上あったように記憶しています)
    で、先の1/3の法則に当てはめて考えると、実質航続距離は2250km、、戦闘行動半径は750kmとなります。 それでもかなりの性能ですけど...。

    ツチノコ

  12. そいや、P-51Dは胴体に増設した燃料タンクが重心位置から離れてるので
    増槽より先に使い切る必要が有ったとか言いますね


    SUDO

  13. マニュアルによれば着陸速度 115〜120マイル(185〜193Km/h)とあります。日本の「殺人機」雷電ですら 160Km/h 台ですからかなり高い値ですね。機首が長いので(特に迎角を取ると)前下方視界は良くないし、着陸の若干難しい機体だったのではないでしょうか?
    ささき

  14. ドイツ軍の評価だと「機関砲弾にはあんがい脆い」だそうですが・・・実際、雲海で迷子になって
    ウロウロしていているうちにMe109G群の奇襲にあってアッという間に編隊ごと墜とされたり。
    タフさではP−47にだいぶ負けるようですが(まあ値段半分だから、それ相応って気もする)

    佐藤利行

  15. 上で「航続距離は実質としては無い」ってありますが、ただ硫黄島から1200km!!余りを飛んで一国の首都上空
    を制した実績は無視できませんよ。
    これは機内の増加タンクのおかげですが(上にも出てますが取付け位置の問題で欠点とされていますね)、こい
    つの欠点は運用でカバーできる欠点と思います。
    片道1200kmで巡航2時間半程度は零戦21型で650km進出するのと一緒ですから大した機体です。
    (いけねえ、褒めちまった^^;)

    佐藤利行

  16. ・<P−51の防御>
    防弾はP−47の方がはるかに厚いですが、生存率はP−47よりP−51の方が良かったような..。
    任務の違いとかにもよると思いますが。
     ってP−51のフォローになってしまった。


    ・<P−51の燃料搭載>
    とすると、対日専用のP−51は特別に機内燃料タンクを増設されたって事でしょうか?(便乗質問)
    本題とはずれますが、
    実のところ、当時の機体は航続距離を強引に増やそうと思えばかなりの拡張が可能でしたね。
    当時の機体は機内がかなりガラガラですから。
    ただ、翼内に増設すると防弾が困難、胴体に増設すると前出の通り重心が狂って(水平飛行ならトリムで調整できますが)運動性能に問題が出る、ということで「目的にかなう範囲でそこそこ」に搭載していたわけですね。
    運用上運動性能二の次だったP−47はN型とかは強引に燃料タンク増設して初期型とくらべて無茶苦茶航続距離伸びてます。

    で、私が極めて疑問に思っているのは、P−51は一体どういう運用を考えて(増設改造してない標準のタイプとして)
    [機内燃料量<増曹燃料量] の配分にしたのか、という点です。
    「イギリス←→北アフリカ」と離陸基地と着陸基地が違う事を前提にしていたわけでもなかろうし。
    長期哨戒任務を考えていたのか?それとも、運動性無関係の地上襲撃任務が主だったA型の仕様をそのまま引き継いでいるのか....

    さて話を戻すと、実際のところ、P−51は日本本土上空での滞空時間をかなり制限されていたように聞いてます。
    (たしか10分か15分だかだったような)で、バトル・オブ・ブリテンのBf(Me)109Eみたいに
    燃料1/3の法則を無視して無理に進出してたわけですね。
    また、白浜芳次郎氏の「最後の零戦」の中ではP−51が増曹を付けっぱなしで戦闘した様子が書かれています。
    日本の航空戦力がかなりヘロヘロだったので「滞空時間が少ない」「場合によっては増曹つけっぱなし」「機内燃料増設で重心位置が悪い」でもナントカなったんではないでしょうか。
    もしそれでダメなら(海軍だけど) XF-8Bが出てくることになったのかも....

    ところでP−51の翼根付近が反転カンパー翼になってるように見えるのですが、気のせいでしょうか?

    ツチノコ

  17. P-51Dの胴体タンクは標準装備だった85gal(321.8L)の事です。
    (ただし運用では65gal(246L)に制限(それでも40gal以上では空戦不可))
    これと翼内タンク92gal(348.2L)2個で合計249ga(942.4L)、落下タンクが標準の
    75gal(283.9L)、対日戦では紙製108/110gal(408.8/416.4L)以上の大型タンクを
    常用したそうですから胴体タンクを減らしてから落下タンクを使い翼内タンクに
    切り替えると、落下タンクを使い切るまで飛んだら帰路の燃料は無くなりますね。

    落下タンクの件は硫黄島からの作戦では165galの大型タンクを常用したとの
    記述が丸メカにあって、それからP-51Dが硫黄島から作戦するにあたって「パイ
    ロットはクルーズコントロール装置の訓練を受けて、これがムスタングの航続
    距離をさらに延長させた秘密」と写真以外はあんまり信用出来ないミリタリー
    エアクラフトの記事にあります(これ何でしょう?)

    やはり1200km飛んで東京の空を制したとは言え相当に無茶してるようです、
    P-51Dの実用航続距離はツチノコさんが言うように胴体タンク無しで考えた方が
    いいのかもしれませんね。

    佐藤利行

  18. ↑16最後段、「反転カンバー」ではなく、翼型が上面後部で曲線でなく直線になっているために、前方の凸曲面との対照で凹に見えてしまう(特にフラップ下げ時の付根断面はフィレットとも対照される)、要は目の錯覚だと読んだ記憶があります。ただ、モケイ的には反転カンバーっぽい凹曲面にしないとらしく見えないとも思われます。
    Schump

  19. >胴体タンク
    同じD型でも、胴体タンクだけでいろいろとバージョンがあったわけですね。

    ミリタリーエアクラフト見てないし、全くの想像ですが、クルーズコントロール装置(巡航調整装置)って、−−燃料/空気の混合率変えるだけでも結構航続距離変わりますから−−それを自動調整してくれる装置とか...?

    >翼後縁直線
    なるほど、そーゆーコトですか。
    てっきり層流翼の風圧中心移動が大きい事を極力抑える為の処置だと思ってました。

    ツチノコ

  20. P-51Dの胴体タンク
    >同じD型でも、胴体タンクだけでいろいろとバージョンがあったわけですね。
    いや胴体タンクの容量は一緒です(ただ燃料を入れる量を制限しただけで・・・だったら初めから小さくすれば良かった
    のに)、落下タンクの方が大中小と色々とありました。(しかし丸メカの「165galタンク」って初耳なんだけどホントに
    あったんだろうか。たまにウソ付く丸メカ・・・)、それで胴体タンクに燃料を入れると重心が狂う話は有名ですが110gal
    以上の大型落下タンクを装着した時も飛行特性はかなりシビアになったそうです。
    (硫黄島からの往復はパイロットは疲労困憊だったみたいですね・・・ドーバー海峡を越えれば下は陸地の欧州に比べ
     て何にもない洋上を片道1000km以上飛ぶのは精神的にかなりキツかったようです。)

    後、上で誰も書いてないので追加ですが、両翼の12.7mmが肝心な時にジャムが多くてP-51のパイロットを激怒させ
    た話も結構有名だったと思いました。銃本体よりGがかかった時の給弾機構側の問題だそうで片翼6門に再配置した
    D型では給弾機構を改良してだいぶ良くなったそうです。
    佐藤利行

  21. 後は完全に記憶モードだけど(まあ弱点って言うほどの事はないですけど)・・・
    ・マーリン・エンジンはうるさい(アリンソンの方が滑らかで振動も少なく乗り心地は良かったそうです)
    ・2段2速過給器の切り替えでは慣れないとビックリするぐらいの音と振動があるそうです。
    ・片翼の機銃が故障時の射撃では機軸がぶれる。
    ・着水が危険で洋上では落下傘降下が基本。(着水は決してするな!だそうですね(下で紹介したP-51
     操縦マニュアルに書いてあります)。これは対日戦で洋上を飛ぶ事が多いP-51パイロットには精神的な
     プレッシャーになったかもしれません)
    ・D型(後期かな?)で導入された対Gスーツですが、パイロットがGに耐えるのはいいんですが、規定以上
     のGをかけすぎて主翼のリベットを飛ばして帰って来る事が度々とか・・・・

    運用上の制限とかの話は、ここの方のHPに詳しいです。
    P-51操縦マニュアル->http://barella.en2.ehime-u.ac.jp/~kumac/P51/

    佐藤利行

  22. H型って緊急出力の5分(D型にもある)がなかったら、それほどのモノではないような・・・・・
    おおか


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