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二式単戦は主翼に20ミリを積めるのでしょうか?確かにIII型は20ミリだか 37ミリだか、搭載する予定だったようですが、あれ、翼幅を延長してますよね? ということは、翼が少々厚くなってはいないかなと思うのです。 二単I、II型は翼が薄いような感があって、無理なのかなと思うのですが? 3番爆弾
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- 「二式単戦にハ112II付けて20ミリ砲」は誰しも考えるでしょう。
さて、二式単戦は外翼が別組み立てになっていて、その接合部のすぐ外側が機銃装備スペースになっています。つまり、外翼を交換しようがしまいが機銃装備部の縦断面は接合部の翼断面における前後桁及び外板で囲まれる部分とほとんど同じ(翼厚比は変わらない)になります(内翼を改設計すると、胴体前半ごと改設計となり、意味がない。)。よって装備しようとする20ミリ砲の機関部の長さ及び高さがホ5と同じくらいでないと苦しいかと思われます(職場につき、資料無し御免)。40ミリロケット砲は付けられたので、それなりの大きさのものは入るのでしょうが、あるいはスピットファイアの20ミリ砲装備型みたいにバルジ処理になるかもしれません。
Schump
- ↑しまった!ホ5は20ミリじゃないか(記憶モード)?意図としては「ブローニングM2コピーのアレ」ですのでご容赦。
Schump
- ↑ホ103のことですね。えーっと、ホ103は全長1267mm、ホ5は1462mmとなっています。
両方を並べるとホ5は伸びたのはほとんど機関部だということが解ります。
ホ5を搭載しようとすると弾倉位置を概ねホ103に合わせないと(桁の間に納める為)
いけませんがサイズ的に微妙なところですね。
厚みは50mm程度増加しているようですが、これまた微妙なサイズです。
ところで手元にある甲IIの図面では機銃は内翼の一番外側搭載なのですが、
機銃搭載位置にも変更があったのでしょうか?
(弾倉は外翼にいってます)
tow
- ↑そのとおりです。結合部と機銃の位置関係を逆に書いてしまいました。結論は大して変わらないとはいえ、申し訳ないです。さて、その内翼外端機銃収納部ですが、長さ70センチ、幅25センチ、高さ20センチくらいまでの物件なら納まりそうです。弾倉とのつながりは、外翼の換装を前提にすればなんとかなりそうですが。
Schump
- とすると、飛燕のホ5がマウザー砲と違ってわざわざ主翼搭載から機首に移された理由も同じ、ということなのでしょうか?
BUN
- 確か飛燕一型丁は、応急改造型だった丙とは違い、「本格的に」20ミリを装備しようとした結果、命中率重視で機種装備にしたのだったと思います。しかし、炸薬が発射直後に爆発してしまう不良品の砲弾が多かったので、これからエンジンを防護するためにカウリング上面を装甲化(ただの厚板だろうけど)した結果重心が狂ってしまって尾部にバラストを積むようになったのでは。
Schump
- ↑確かブローニングM2の拡大コピー(というのか?)であるホ5は、装填状態でボルトが前進・閉鎖しているクローズド・ボルト式の為、炸弾は使用できなかったと記憶していますが。(加熱したチャンバに炸弾装填しっぱなし、というのは確かに怖い)
それでは折角の20mmの意味がない為、徹甲焼夷弾を使用していたようですが、こちらは爆発はしませんよね。キ61の20mm機首装備は、私も疑問に思っていました。
(Schump様、逆ガルの件ではありがとうございました:revi)
revi
- 国本氏の調査によればホ5には2式榴弾弾薬筒という炸裂弾が使われたそうです。しかしご指摘通り暴発事故が多発し、昭和19年中盤から過熱に強い空気信管(白金を利用し命中時の断熱波によって点火する信管)装備のマ202榴弾に換えられたそうです。
ささき
- 追記:陸軍では12.7mmのホ103にも炸裂弾を使っていますが、原形の米軍M2 Cal.50に炸裂弾はなかったようです。
ささき
- 不勉強失礼しました。今日資料を確認したのですが、「ホ5に炸裂弾がない」のモトネタは、兵頭二十八氏の「たんたんたたた」P222でした。
・・・著者そのものもさることながら、「炸弾ではなく、徹甲焼夷弾を使用していたのではないでしょうか」という書き方も含めて、かなりいい加減な資料でした。(なにしろ次の頁で「飛燕はマウザー(MG151/20)2門を機首に搭載した」云々という記述もあるくらい・・)
ともあれ、不確かな資料&記憶モードでのツッコミ、失礼しました。
revi
- 「銃砲入門」だったか「戦闘機入門」だったか、日本陸軍は航空用7.7ミリ機関銃にも
炸裂弾を採用してた、とか見たことあります。
Navy
- ということは陸上用のにも7.7mmの炸裂弾が使えるんですね。使い道はまあ、中々にあるはずだけど国際法で規制されるかな。
J
- 7.7mmの炸裂弾は、開発しようとしたけど、結局出来なかったんじゃなかったかな。うろ覚えですけど。
つむ
- 開戦当時、7.7mmに使用された弾種は一番多く供給された九二式徹甲実包、これに混用されたのが九二式焼夷実包、九九式特殊実包です。八七式普通実包もありましたが予備だったようです。ですから航空機銃のは炸裂榴弾は使用されていません。
BUN
- >revi さん<いえいえ失礼なんてとんでもない、こちらこそよろしくお願いいたします。日本機銃・機関砲の資料は少ない上に出典によって記述が違い、何が正しいのかよくわからない事も多いです。ホ5やホ103については、現場の搭乗員や兵器員の判断で炸裂弾の使用を停止したかも知れませんしね。
ささき
- 九九式特殊実包=マ101=(信管無しの)炸裂弾だったと思うのですが。
ハヤブサ
- 九九式=マ弾=炸裂弾と考えていいのでしょうか?開戦直前の南方軍交付航空燃料、弾薬の一覧表から見ていますが、後方の補給拠点ほど、九九式の割合が高く、逆に前線近くのマレー、フィリピン方面には広東などには一発も無かった焼夷実包が九九式の数をはるかに上回って供給されています。配備状況から見ると「かつて期待されて大量生産されたが実戦には不適当な機材」としての扱いに見て取れるんですが、どうしたことなのでしょう?
BUN
- ああ、ごめんなさい。九九式特殊実包=マ101と考えていいに決まっていました。しかし、マ101自体は燃料タンクに命中した場合に、薄肉化した弾頭が壊れ、発火剤が燃料に着火することを目的に開発され、十五年に仮制式となっているようです。手の込んだ弾ですが、実効と、炸裂弾(構造物を破壊できない)と呼んでいいかは何となく疑問です。
BUN
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