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392 疾風の試作機が搭載していたエンジンはハー45の10シリーズとの解説と、20シリーズとの解説がありますが試作機のエンジンはどちらなのでしょうか?

  1. 通説ではブースト圧と回転が低い11型だと思ってましたが?、同時期の紫電は11型ですので。(ふとした疑問。もし公式記録を出した疾風の試作機が誉11型なら、誉21型+推力式排気管の量産型のカタログ性能値ってどれぐらいなんだろう?、謎だ)


  2. 1800と2000馬力ではえらい違いのはずなので、この辺はっきりして欲しいものですよね。10型は植え込みフィンでもないし、水メタノール噴射でもないはずなので真相は是非知りたいものです。


  3. 量産型は推力式排気管だし(+15km速度UPしたそうですが)。ただ量産型もマイナス要素があって、まず鋳込み冷却フィンは量産型も途中で止めてます、それから中島関係者によると量産型が出る頃の粗悪な燃料では「とてももたない」と誉の圧縮比を下げたと証言していますので、仮に47戦隊の完調疾風でも工場出荷時で圧縮比を下げられた誉21型では実馬力は誉11型と大差無い可能性もあると思います。(疾風に乗るなら量産型の若い番号が狙い目?)


  4. ↑量産型のエンジンでも途中から圧縮比を下げた話は、別冊航空情報「知られざる軍用機開発(下巻)」のキ−87の話の中で出てきます。


  5. (ひえ〜、大ウソ書いた)「紫電」は量産型では誉21型でした(訂正)。それで疾風の資料読み返したらハッキリと11型とは書いてなかったです。離昇後の空中でのブースト値が水メタ噴射の不調や気化器の調整の関係で目標値の350ミリに達しない(250ミリ)とされているだけで誉11型と書いてありませんでした。


  6. よく考えて見ると、時期的に、1号機のエンジンは誉(と言うのは正しくないか)11でなければおかしいような気がしますね。18年3月に水メタノール噴射のエンジンが実機搭載段階までいってたとは少々考えにくいものがありますので。どうかな?BUN


  7. 誉11型か21型かは疾風とほぼ同時進行だった紫電の試作機も合わせて検証する必要がありそうですね(紫電側の開発資料も参考になりそうです)。ただ誉の水メタ噴射はオクタン価の低い燃料で2000馬力を達成する為の切り札の一つとして採用され、定格出力を発揮する為の性能部品の一つですから(この点、欧米の様な定格出力以上を発揮するパワーブースター的な発想とちょっと違います)実機搭載時点では水メタ噴射は実用段階であったとも思えるのですが?(そうでないとエンジン自体が完成していない事になります)


  8. 開発時期的には「銀河」や「流星」もいますが、こっちは誉12型なんですけど・・・・戦闘機用が21型で爆撃機や攻撃機用が12型の使い分けだったんだろうか?


  9. http://www.platon.co.jp/~vought/ibukuro/Ki84_1.HTM←ここを見てください。要するに689km/h出ていない疾風のエンジンは2000馬力出ていないということです。圧縮比を下げてるなら確実にそうでしょうね。パイロットの証言でも「F6Fよりはわずかに速い」とありますから、要するにF4Uよりは遅いということでしょう。ですから、カタログ値よりわずかに低いといったあたりが正解で、量産型でも624km/hは出ていないと思います(胃袋3分の1)


  10. 疾風に高オクタン価の燃料が配給されなくなったのは19年末から20年初め以降のことでしょう。フィリピン決戦の頃には燃料の供給はそこそこにあったようです。また、陸軍機の燃料の質は開戦以来低下したというより、高性能機の登場に合わせ、年々向上していたが19年末の海上輸送路の壊滅から品質が急落したというのが正確な表現だと思います。2000馬力出ていたかは別として624kmくらい出せる機体も初めの頃は多かった、と見るべきでは?BUN


  11. 昭和17年末に実用化された火星20番台は水メタで許容ブーストを高めたエンジンです。昭和18年の時点では、「設計段階では」使用するのが当然のモノだったと思います/SUDO


  12. でもって、定格を発生させるための部品なのかって点ではR2800-22WとかDB605DCMとかは、水メタ前提ですよね?これらのユニットでは水メタの使用が定格の前提条件であって、ブースターなのかどうかは関係ないでしょう、既存のユニットに付ければブースターだし、前提条件として製造されたら「定格のための部品」です、何処に「定格」を置くかの問題でしかない/SUDO



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