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344 靖国神社、遊就館に展示されている零戦二一型から取り外したと伝えられる九九式20粍固定銃二型改、(豊3198、昭和18年10月との刻印あり)とはどのような仕様の銃なのでしょう。またそのドラム弾倉は何発装填できるのでしょうか。

  1. 99式一号銃ならば初速600m/s、発射速度550発/分(型によって若干の差異あり)、弾倉は60発入りのはずです。二型改というサブタイプの詳細な差異はよくわかりません(ささき)


  2. 99式1号1型は輸入銃、2型はその国産品、3型はそれを空気装填油圧発射にしたものらしいです。私に分かるのはここまで。後は他の人におまかせ(EOS)


  3. 写真によると、真珠湾後に内地へ帰還した際に配属された加賀の搭載機が百発弾倉(三菱生産機)になっており、二型改の改は百発弾倉のことかな、と思って質問してみました。また十八年十月ということは零戦なら中島製二一型のはずで、零戦弾倉百発説(一号銃は開戦直後に百発になったということ)の私としてはいい傍証ではと思ったのです。有り難うございました。BUN


  4. 100発弾倉を装着するにあたって機銃の機関部側には変更があったのでしょうか?私の手元には詳しい資料がありませんが、専門家の国本氏に聞いてみます(ささき)


  5. 百発弾倉の直径が判れば靖国神社の展示機銃は静かにそおっとメジャーが当てられそうなんですが、判りませんか?BUN


  6. 100発弾倉は昭和16年末には完成しているので、それ以降に製造された20mmは1号銃でも100発弾倉仕様になっていたとしても不思議はないと思います。ただわからないのが「2型」という形式。遠隔装填がうまく国産化いかずに独自の空気装填に変更して大量生産されたのが3型で、2型はほとんど存在しないと思っていたのですが、なんか違うようですね。もしかしたら遠隔装填の装置を撤去して地上で装填を済ます簡易型なのかもしれません(EOS)


  7. それから「丸」の零戦を扱った記事の中で、32型の解説に「翼内銃は100発入り丸形弾倉の99式1号2型20ミリ銃に換装されている。」との解説があります。今まで誤記だろうと思って気にとめていなかったんですが、これピッタリですよね。


  8. 国本氏から回答がありました。99式20粍1号固定機銃2型=空気発射式で国産化した機銃、99式20粍1号固定機銃2型改=上記を打殻放出口部を改造のもの、99式20粍1号固定機銃3型=100発弾倉が取りつけられるようになった型、だそうです。国本氏は原典の海軍兵器要覧から参照されているので間違いはないと思います(ささき)


  9. 国本です 私も話題の機銃が見たいのですが、いつでも見られるものですか?それと九九式20粍固定機銃二型改という刻印は無いはずで二型改は全て二型改1なのですが、


  10. 靖国神社の遊就館で彗星の横に常時展示してあります。刻印については仕事中(サボりですな)でしたので掌にボールペンでメモって帰って来ました。BUN


  11. なるほどよくwかりました。ところで便乗質問になってしまうのですが「1号1型改1」というのは、どんなタイプなんでしょうか?また輸入銃と国産銃とでは形式名は同じなのでしょうか?(EOS)


  12. 国本です。99式20粍1号固定機銃2・#94;=空気発射式(国産化した機銃)、99式20粍1号固定機銃2・#94;改1=上記を打殻放出口部を改造のもの、です。輸入品は恵式20粍固定機銃1型で、それを日本で改造して恵式20粍固定機銃1型改3とよんでいました。所で私の画面では漢字のかたを・#94と表示するのですが同じ現象の人いませんか?


  13. 再度国本です。100発弾倉は開戦後に実用化され太平洋戦争中期に採用されていますので、真珠湾攻撃に一部でも100発型の1号3型が参加した可能性は有りませんので念のため。


  14. という事は99式1号1型及び改1というのは存在しなかったという事でしょうか?もひとつ国本さんはなぜ「型」をわざわざ「#94」と書いたのでしょうか?(EOS)


  15. 現在の定説では一九年二月まで生産された中島製二一型に到るまで六〇発弾倉となっています。これに対して一七年初頭以降の生産機には百発弾倉が取り付けられていたのでは、と思っていますので真珠湾まで百発とは考えていません。ただ証明できそうな資料が加賀搭載機、国立博物館の復座零戦あたりしか見あたらないのが心細い・・・。BUN


  16. 99式1号1・#94;及び改1はなかったものと推定されます。1型はボーデン索発射式で全て輸入品でした。


  17. 99式1号1・#94;及び改1はなかったものと推定されます。1型はボーデン索発射式で全て輸入品でした。


  18. 最後にもう一つだけ質問お願いします。舶着部品でノックダウン生産された銃も「恵式1型」なのでしょうか?(EOS)


  19. EOSさん そこまでは私にも判りません。でも「恵式20粍1号固定機銃1かた」は全て輸入品となっている。


  20. BUNさん、EOSさん私のコーナーにも来て下さい。お待ちしております。


  21. 国本です。下のお誘いは私です。名前を入れるの忘れました。所で100発弾倉は一目で判る特徴があります。弾倉の表と裏にバネがはいったへそが付いているのです。60発まではへそは銃口側にしか付いていません。


  22. 国本です、もうひとつ確かに100発型弾倉が研究終了したのは16年11月なので、ひょっとしたら先行生産品等それに類するものが色々な所で使われた可能性があるのも否定出来ない。もう少し調べてみましょう。これに関する資料の出所を詳しく教えて下さい。


  23. 色々ありがとうございます。ところで100発弾倉に話を戻すと、3型(100発弾倉)は昭和16年2月研究着手、同11月採用、4型(ベルト給弾)は昭和16年10月研究着手、18年5月採用、5型(発射速度増大)は昭和18年5月研究着手、20年5月採用、とあるので、17年初頭から3型が登場した可能性は高いと思います。また空中試験での不具合等も16年11月の時点では解決されているようだし、4型や5型ほどには大改造が必要なわけではないので、比較的スムーズに切り替えは行われたのではないでしょうか?(EOS)


  24. 「零式一号艦上戦闘機一型/二型 第六号機以降用 仮取扱説明書」というのに恵式20粍の発射管制装置系統略図というのが載っていますがそれによると恵式は空気装填空気発射です。装填弁自体はコクピット内にあって空気管が直結されているようですが、発射用の空気弁はコクピット外にあって、発射レバーから引かれたボーデン索で遠隔操作する形式のようです。安全装置や7.7mmの発射はボーデン索直結のようですが。思うに1型と2型はどちらもボーデン索経由の空気発射で、3型から油圧発射に変更されているのではないでしょうか?(EOS)



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