終戦時漢口から脱出した百式司偵には操縦員あわせて八人を詰め込んだそうですから、より大柄の月光なら斜銃と弾倉・無線機を外せばギリギリ十五人を詰め込めたのではないでしょうか?(ささき) これは、海兵67期の肥田元大尉の「青春天山雷撃隊」(あるいは、その元になった肥田氏の著書)にある件ですよね。どうやって載せたかも、その本に書いてあったはずですよ。 今泉 淳