QQCCMMVVGGTT
57 |
当時 航空機に搭載していたレーダは日米どの程度の能力だったんでしょうか?
|
- 大戦当時の対航空機用機上レーダーは各国とも「機上探照灯」的な能力に限られていました。同高度前方の数キロから数百メートルに敵機の存在を見つけ、近接して目視で照準、射撃する為のものでしたが、日本には実用性のあるものは生産できず、地上の探照灯の無い場合の夜間攻撃はほぼ不可能でした。
- 一応、日本の射撃電探のカタログ値を書くと、海軍がFD2号(波長60cm、19年8月完成、100台)、玉三号(波長2m、20年7月完成、10台)、陸軍が(形式名?)波長80cm、尖頭出力2kw、探知距離3kmで角度誤差2度、距離で400m以内の誤差があったそうです。(「幻の秘密兵器より」)、日本のレーダーは、とにかくカタログ値も低いですが、さらに機械的な信頼性に欠けレーダー・スコープなんかの周辺技術も相当に低いです。(T.S)
- 便乗質問です。天山の夜間雷撃用レーダーによって挙げられた戦果はあったのでしょうか?
- 射撃用、雷撃用の電探は日本には無く、索敵用です。夜間雷撃は照明弾搭載機の支援等によって目視で実施していました。対航空機電探射撃は全く行われていません。
- 陸軍のレーダーは「タキ2号」ですね(天翔)
- (追記)英独米の機上レーダーの性能値が手持ちの資料本を探しても分からなかったのだけど、確か記憶だとこっちも探知距離は4〜5km程度だったと思います。(T.S)
- とりあえず分かったドイツの物だけ。まずリヒテンシュタイン系ではFuG202/212が出力1.5kW、探知距離200〜3500m、波長60cmないし80cm。FuG220が出力2.5kW、探知距離500〜4000m、波長3.3m。ネプツーン系(主に単座機用)はFuG216が探知距離500〜3500m。FuG218が140〜4800m。ドイツの機上レーダーは米英に比較して2,3年は遅れていて、メートル波またはデシメートル波を使用するため分解能が低く、また初期の物は周波数が固定の為、英軍のECMに簡単に無力化されてしまいました(EOS)
- 1945年に入ってようやくドイツ初のセンチ波(波長9.0〜9.3cm)レーダーであるFuG240/1「ベルリン」N-1aが完成しました。それまでの固定式のダイポールアンテナから機首内のレドームに収容したパラボラアンテナに代わり、表示方式もPPIスコープになりました。詳しい性能はわかりません。ただしこれは25基生産されてうち10基がJu88G-6Cに装備されただけでした。
- イギリスはドイツより2,3年早い1939年には最初の「AIレーダー」を開発。1943年には初のセンチ波レーダーである「AI Mk8」配備開始、米軍も同じくセンチ波の「SCR-720」の開発に成功しています。既にこの時点でレーダー技術はアメリカがイギリスを抜いていたのか、このSCR-720は「AI Mk10」として英軍機にも採用され、次の世代のAN/APS-4も「AI Mk15」として採用されています。で、肝心のこれらのレーダーの要目に関しては私はよくわかりません(EOS)
- アメリカの機上レーダーについて補足します。AN/APS-4(F4U-2,F6F-3E,F6F-5E,TBM-3E,SB2C-5に搭載)は波長3センチ、探知距離75m〜6400m、AN/APS-6(F6F-3N,F6F-5Nに搭載)は波長3センチ、探知距離120m〜8000m、SCR-720(P-61,F7F-3Nに装備)は波長10センチ、探知距離不明。詳しくは朝日ソノラマ文庫「大空の攻防戦」渡部洋二著の中の「夜のヘルキャット」、あるいは同じ作者の「夜間戦闘機月光」「ドイツ夜間戦闘機」が参考になります(EOS)
Back