高城飛行場

倉吉市の南西部、横田から下福田方面に向かう郊外に、どこまでも直線が続く県道がある。 ここが太平洋戦争末期、軍用の「高城飛行場」だったことは割合に有名だが、 その建設のために地区民のほか、朝鮮人の強制労働者が多く働いていたことは、 今ではほとんど知られていない。

 飛行場は昭和二十年八月十日にようやく完成したが、五日後には敗戦。 「赤トンボ」と呼ばれた練習機が十機着陸しただけだった。当時を知る人の話では、 建設には朝鮮人労働者五十−百人が京都経由で連れて来られ、 当時の北谷村三江(現倉吉市三江)の公民館に収容されたという。

引用:(1998年10月29日付、日本海新聞、鳥取発特報)

Lime Light >記事の記述を地図とあわせると、県道34号線(倉吉赤碕中山線)の1800mほどの直線部分になるようですが、本当に、これがすべて滑走路だったんでしょうか(^^;) 補足 : 当時の東伯郡高城村です (2001/03/21(Wed) 23:29:30)