那須野陸軍飛行場(なすの);参考文献『那須の太平洋戦争』北那須郷土史研究会 下野新聞社 ISBN-4-88286-069-4 C0021
所在地 栃木県黒磯市埼玉(さきたま)
地元では黒磯飛行場、埼玉飛行場とも呼ばれている。
1937(昭和12)年頃 陸軍より地権者に対し買収の通告
一坪25銭、一反歩75円
昭和13年秋 用地買収完了。
1942(昭和17)年 熊谷陸軍飛行学校那須野分教所として開校。
一辺約1700mの方形。幅53mの滑走路1本。
格納庫第2棟、中・小3棟
1943(昭和18)年 9月 宇都宮陸軍飛行学校那須野教育隊となる。
1944(昭和19)年 10月 熊谷陸軍飛行学校那須野教育隊となる。
1945(昭和20)年 4月 鉾田教導飛行師団が移駐、本拠地となる。
九五式中錬から九九双軽、二式複戦に。
5月 特攻隊12隊の編制。双襲(二式複戦)8隊
双軽(九九双軽)3隊
7月 第二十六飛行団の司令部(燕第34221)がおかれる。
キ102(甲)(乙)(丙)の配備
8月13日 神鷲201隊(双襲)6機出撃。
2機突入、3機目標未確認のため帰還。1機帰還途中不時着。
大岡昇平によれば陸軍最後の特攻。
なお、『那須の太平洋戦争』は那須地区学校教職員による研究会がまとめた
もので、緻密な聞き取り調査をもとに執筆されている好著である。
貴重な写真も多数あり、地方史研究のみならず、戦史研究にも良質な参考書
といえる。
TRON > 「那須の太平洋戦争」は私も手に入れましたが、非常に資料価値の高い文献です。 (2001/04/15(Sun) 01:04:49) |
TRON > ちなみに、キ-102丙は実機未完成で終わったので、おそらくキ-96改造の原型機の間違いでしょう。 (2001/04/15(Sun) 18:52:11) |