中島飛行機宇都宮製作所飛行場 投稿者:ぼん 投稿日:2001/04/24(Tue) 23:18:33
中島飛行機宇都宮製作所飛行場
現在地 陸上自衛隊北宇都宮駐屯地(陸上自衛隊第12飛行隊,航空学校宇都宮分校

昭和17年5月 中島飛行機により工場敷地と飛行場敷地の買収開始。
昭和18年   工場を含めほぼ完成。
昭和19年1月 四式戦生産開始。
     5月 初出荷。

南北 舗装滑走路
東西 転圧滑走路(現在は県総合運動場)

米軍資料では,宇都宮陸軍飛行場をUTSUNOMIYA A.F
       この飛行場をUTSUNOMIYA.S A.F(宇都宮南)
と呼称しているが,地元では南飛行場とは呼ばなく,中島の飛行場と呼ばれる。
戦中は軍の飛行場ではなかったが,陸軍の空中勤務者および中島の飛行士が
独自の防空部隊(数機程度)をもっていたようである。

工場と飛行場は約1.6キロ離れているが,誘導路が整備されており,この
周辺に掩体土塁が多数あった。コンクリート製の掩体格納庫は見られない。


TRON > 出典は忘れましたが、ここの完成時期は昭和18年4月というデータがあります。 (2001/04/25(Wed) 03:02:46)
TRON > あと、面積は約270haで、南北方向と東西方向の滑走路の他に、南西−北東の1500m×50mの転圧滑走路もありました。 (2001/04/25(Wed) 03:04:50)
TRON > 無蓋掩体の数は空中写真から判読できるだけでも38ありました。 (2001/04/25(Wed) 03:06:06)
ぼん > 南西ー北東のは未確認ですがタクシーウェーだと思います。 (2001/04/25(Wed) 22:20:20)
ぼん > 恒常風は北西又は南東なので横風での離着陸はどうかと思っております。 (2001/04/25(Wed) 22:22:26)
ぼん > 聞き取り等で補強してみます。 (2001/04/25(Wed) 22:23:11)
TRON > 米軍空中写真を見る限りでは、他の誘導路よりも幅があり、 (2001/04/26(Thu) 00:52:29)
TRON > 直線であることから、補助滑走路として使われていたと思われます。 (2001/04/26(Thu) 00:53:47)
清原人 > 補助滑走路は当時横風滑走路(未完成)と呼ばれていたそうです。現在の飛行場の誘導路の位置が当時の滑走路で、東西の横風滑走路と正規の滑走路は斜めに走る誘導路で結ばれておりました。その途中にある宇都宮競馬場も誘導路の一部ですね。いまだに競馬場に行きますとキ-84が運搬されている光景を想像してしまいます。(とはいっても私は30歳。)当時飛行場には宇都宮陸軍航空廠雀宮出張所あり。宇都宮製作所の完成機は航空廠検査課パイロットにより清原の「宇都宮陸軍飛行場」に運搬、航空輸送部第3飛行隊などが戦地に空輸しておりました。(話が長くなりまして申し訳ございませんでした。) (2001/05/17(Thu) 00:27:24)