投稿者:へんじん
投稿日:2001/01/31(Wed) 21:37:22 | |
1.宇都宮清原飛行場(陸軍のものらしい)現在は工業団地になっていますが、演習記念の記念碑らしきものや、現在は取り壊されていると思いますが
格納庫のものと思われるコンクリートの基礎などを見た覚えがあります。
宇都宮陸軍飛行場
| 投稿者:ぼん |
投稿日:2001/04/11(Wed) 22:54:45 | |
仕事の上でもこのサイトには十分お世話になっております。
私は栃木県在住なので、栃木関連でアップさせていただきます。
宇都宮陸軍飛行場
1939(昭和14)年 陸軍は清原村(現・宇都宮市清原工業団地)千波が原の
約3000haを買収。翌年勅令により「宇都宮陸軍飛行学校」が発足。
1941年には滑走路と兵舎、「宇都宮陸軍航空廠」を併設した。
1944年10月刊の水路部『陸軍航空基地資料 第1 本州 九州』によると
面積 南北1,600米 東西1,500米 總面積270萬平方米
地面ノ状況 平坦ナルモ北東ヨリ南西ニ向ケ1/250ノ下リ傾斜ヲ為ス
硬度ハ普通二シテ一面に植芝密生ス
高キ台地ヲ為スヲ以テ排水良好ナリ
目標 宇都宮市、鬼怒川
離着陸特殊 離着陸方向ハ北又ハ南ヲ可トス
操縦法 東西方向場外ハ下リ急傾斜ヲ為スヲ以テ注意ヲ要ス
格納設備 鉄骨造格納庫(42×50米)4棟
木造格納庫(40×30米)8棟
観測設備 陸軍気象観測所アリ、航空気象ヲ観測ス
給油設備 アリ
修理設備 アリ
宿泊施設 兵舎アリ
地方風 9月ー翌年3月間ハ北風、4月ー8月ハ南風ナリ
地方特殊ノ 夏季雷雨多シ ○霧ノ発生多シ
気象
交通関係 宇都宮駅前より「バス」ノ便アリ
その他 本場ハ宇都宮陸軍飛行学校ナリ
飛行学校二隣接シテ宇都宮航空支廠アリ
(昭和18年4月調)
1944年11月3日から3日間の徹夜工事で、南北方向に長さ1500m幅50mの
滑走路コンクリート舗装工事を行った。
この工事は昭和19年7月に陸軍技師待遇で配属された東京工業大学建築学科の
学徒出陣2年生4名による設計で、この他
・航空用ガソリン貯蔵用の横穴壕建設
・飛行機掩体格納庫建設
・飛行機掩体土塁偽装工事
に従事した。
1944年6月 宇都宮教導飛行師団の編制
戦時中は航空支廠があったため、かなりの種類の陸軍機があったとのこと。
キ102や新司偵V防空戦闘機の目撃例もある。海軍機もしばしば訪れて
おり、百式重爆と比べて一式陸攻の運動性は良かったとの話もある。
群馬県の中島飛行機太田製作所からフェリーした百式重爆や中島飛行機宇都宮
製作所からの四式戦のぎ装を行っていた。
ぼん > 地元では清原飛行場とか、こて(金へんに当)山飛行場とも呼ばれている。 (2001/04/12(Thu) 21:38:25) |
TRON > 航空機掩体の数は無蓋が84(以上?)、有蓋が5(以上)でした。 (2001/04/15(Sun) 01:00:45) |
TRON > なお、ここは「宇都宮東」飛行場とも呼ばれていたようです (2001/04/15(Sun) 01:07:31) |
ぼん > 早速のレスありがとうございます。「宇都宮東」の出典を教えてください。 (2001/04/15(Sun) 07:26:12) |
TRON > 「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」というISBN番号無しの自費出版の本です。 (2001/04/15(Sun) 14:27:23) |
TRON > この本は1997年に日本航空の元?調査役が出したものです。 (2001/04/15(Sun) 14:28:42) |
TRON > 当時は秋葉原の書泉に山積みになっていました。 (2001/04/15(Sun) 14:30:19) |
ぼん > ありがとうございました。地元では宇都宮東という名称は聞きません。 (2001/04/15(Sun) 18:38:06) |
ぼん > また米軍資料でも、UTSUNOMIYAかKOTEYAMAとなっております。 (2001/04/15(Sun) 18:41:07) |
ぼん > 戦中の民間航空ではそう呼ばれていたのかもしれませんね。 (2001/04/15(Sun) 18:45:18)
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