大田原金丸飛行場

投稿者:へんじん 投稿日:2001/01/31(Wed) 21:37:22
大田原金丸飛行場(陸軍のものらしい)
現在は田畑および、ゴルフ場になっていますが、付近のゴルフ場敷地内に
コンクリートでできた機体を隠蔽しておく掩体壕(でしたっけ?)が
最近までありました。これは今もあるかも。当時は疾風(という話ですが多分、隼かな)がここに入っていたらしいという地元新聞記事も見たことがあります。

金丸原飛行場 投稿者:ぼん 投稿日:2001/04/11(Wed) 23:56:15

金丸原陸軍飛行場(かねまるはら);参考文献『那須の太平洋戦争』北那須郷土史研究会 下野新聞社 ISBN-4-88286-069-4 C0021

所在地 栃木県太田原市金丸
明治45年 金丸原演習場、廠舎として竣工
1934(昭和9)年 所沢陸軍飛行学校の不時着場になる。
1935(昭和10)年 所沢陸軍飛行学校 金丸原分教場に指定される。
         第66期操縦学生入校。
1937(昭和12)年 5月10日 熊谷陸軍飛行学校 金丸原分教場になる。
         6月5日 開校式
         72期、73期操縦学生訓練開始。
         格納庫3棟完成。
1939(昭和14)年 飛行場拡張。滑走路を二面建設。1900m、1300m
         格納庫大小7棟、試運転場4、兵舎
1940(昭和15)年 このころ九九高錬20数機
1941(昭和16)年 4月 宇都宮陸軍飛行学校金丸原教育隊になる。
1942(昭和17)年 このころ九五式中錬 4コ中隊 40数機
1944(昭和19)年 1月 常陸教導飛行師団金丸原分遣隊になる。
         12月 熊谷陸軍飛行学校 金丸原分教場解散。
         このころ一式戦24機、二式複戦7〜8機配備。
1945(昭和20)年 6月 常陸教導飛行師団金丸原分遣隊は第一総軍隷下に
            なり、制号作戦のために実戦配備につく。
         このころ二式戦、三式戦、四式戦数機ずつ配備。
         防空戦闘に参加。

記念碑が大田原市立金田南中学校にある。

TRON > 滑走路の幅は空中写真から測定すると2本とも100mでした。 (2001/04/15(Sun) 00:57:51)
TRON > また、付近には湯津上秘匿飛行場(滑走路1200m×50m:転圧)がありました。 (2001/04/15(Sun) 01:02:26)