チム(CHIMU)飛行場

名 称
米軍:チム(CHIMU)飛行場、キャンプ・ハンセン
(チムは、金武(きん)の外人読み)

歴 史
1945年2月28日、米軍偵察機、金武の空中撮影を行い、飛行場予定地を選定する。
1945年3月23日、米軍の沖縄攻略作戦開始。金武の飛行場予定地に絨毯爆撃を行う。 (住民は、何故山や畑しか無い所を爆撃するのか、非常に不思議がっていたそうで、アメリカ人は目が見えないのかと笑っていたそうです。)
1945年4月6日、米軍、金武地区に侵攻、占領の上、飛行場建設開始。約10日間で1520mの滑走路を持つ、小型、中型爆撃機用の飛行場をほぼ完成させる。以降、日本本土攻撃に使用。
1945年5月16日、21日、2度に渡り、山に立てこもる日本軍の遊撃隊により襲撃される。また、この事により、米軍から、金武町住民が遊撃隊との関係を疑われ、とばっちりを受ける。(家焼かれたりさんざんだったそうで・・)
1945年8月、終戦により、使用されなくなる。
1946年後半以降、航空基地機能の嘉手納集約の為放棄。
1947年7月22日、飛行場を射撃場として再使用開始。小火器、大砲、戦闘機重爆撃訓練等々に使用。
1951年1月、飛行場跡に木造兵舎建設開始。
1956年6月、海兵隊、仮兵舎にて駐屯開始。
1959年7月、キャンプ・ハンセン建設開始。
1962年10月、キャンプ・ハンセン工事完了。

現 況
キャンプ・ハンセン
資料提供沖縄発 役に立たない写真集