昭和3年 京城飛行場と蔚山飛行場が設置され、付属設備として8個所(蔚山、黄澗、大田、 天安、沙里院、平壌、定州、新義州)に航空標識が設置されました
昭和5年 航空無線電信局ができ有線設備とあわせて空路の安全のため連絡ができるようになりました。
位置 : 慶尚南道蔚山群蔚山邑三里山
国土防衛作戦計画要綱には ここが朝鮮の機動飛行場と指定されています。
機動飛行場とは1コ飛行戦隊所要の燃料・弾薬等を1週間分集積を意味します
参考文献−−朝鮮総督府施政年報 戦史叢書(本土防空作戦) by F4U
2.日鮮接続空港
2-1 蔚山飛行場(慶尚南道)
昭和3年、約6万坪を買収。10年、東側に4万坪拡張。就航機の大型化に対応できず、12年に大邱に移転。
その後は陸軍の野戦飛行場として使用。
滑走路:北 − 南 長600m
東 − 西 長600m 昭和10年の拡張
建物 :格納庫(350坪)、日航事務所(35坪)、空港事務所(30坪)
(※戦史叢書の付図では、滑走路が又字形配置なのは蔚山になっており、大邱は滑走路1本になっている。これらの民間飛行場とは別なのか、どちらかの資料の間違いなのか不明)