歴史
昭和2年6月 勅令により内地・朝鮮・台湾を同一法域とする航空法が施行されました。
昭和3年 京城飛行場と蔚山飛行場が設置され、付属設備として8個所(蔚山、黄澗、大田、 天安、沙里院、平壌、定州、新義州)に航空標識が設置されました
昭和6年12月28日東京−大連間の満州飛行機を寄航させ、満州との定期航路を開始。
昭和7年 航空無線電信局ができ有線設備とあわせて空路の安全のため連絡ができるようになりました。
参考文献−戦史叢書(本土防空作戦) 朝鮮総督府施政年報 by F4U
元々、河川敷地の簡易飛行場だったものを、昭和8年に正式に飛行場として設置。
川沿いに恒風があるため、離着陸には支障がないが、洪水で1ヶ月程度使用不能になることがある。
敷地 :600m X 500m
設備 :満州との国境飛行場のため、税関が常駐。国境警備飛行の拠点にもなるため、格納庫等も存在する。