歴史
大正5年(1916年)3月陸軍が簡易飛行機離発着場として建設を始め10月に開設しました
昭和2年6月 勅令により内地・朝鮮・台湾を同一法域とする航空法が施行されました。
昭和3年 京城飛行場と蔚山飛行場が設置され、付属設備として8個所(蔚山、黄澗、大田、 天安、沙里院、平壌、定州、新義州)に航空標識が設置されました
昭和4年 京城−光州、京城−羅南の試験飛行が行われました。
昭和5年4月1日 大邱、平壌 新義州 蔚山 咸興 清津 に簡易飛行場を建設
昭和5年(1930)5月1日 朝鮮飛行学校開設
昭和6年 国際飛行場として 夜間照明、無線電信設備、滑走路構築、連絡道路改築、航空気象観測所 などが整備されました。 京城−大邱、京城−中江鎮、京城−清津の試験飛行が株式会社朝鮮航空研究所によって行われました。
昭和7年 京城−龍井村 の試験飛行が日本航空輸送株式会社と朝日新聞社によって行われました。
昭和8年 京城−咸興 京城−木浦が慎聰(後の慎航空事業社)によって行われました。
昭和11年 京城−裡里郵便連絡飛行が慎聰(後の慎航空事業社)によって行われました。
昭和12年 京城−大連が日本航空輸送株式会社が開設
昭和13年 京城−裡里-光州 定期飛行を慎航空事業社が開設
昭和14年 京城−新京(ハルピン)を満州航空会社が開設
国土防衛作戦計画要綱には ここが朝鮮の機動飛行場と指定されています。
機動飛行場とは1コ飛行戦隊所要の燃料・弾薬等を1週間分集積を意味します