[134] 千島列島の飛行場 投稿者:ぼん 投稿日:2001/08/18(Sat) 04:43:45
文献等の詳しい調査はまだですが、とりあえず手持ちの資料から。

占守島 三吉野第一 1、N−S 滑走帯1600X250
                  (うち板敷滑走路1200X50)
          2、NW−SE 滑走帯1200X150
          上記2本はX字状に交差する。
 
    三吉野第二 NW−SE 滑走帯1400X200
                (うち板敷滑走路1200X50)

    第一占守  1、NNW-SSE 滑走路1200X80
          2、NE-SW  滑走路1200X80
          3、E-W (計画 同規模)
          上記3本は*状に交差する。

    第二占守  方角不明 100X50

    潮見第一  N-S 滑走帯1200X幅不明

    潮見第二  NW-SE 滑走帯1400X150
            (うち板敷滑走路1200X50)

幌筵島 北千島 N-S 板敷滑走路1200X50

    第一幌筵(武蔵) 1、NNE-SSW 滑走路1100X110
             2、NNW-SSE 滑走路1200X110
             3、E-W 滑走路(長さ不明)
             上記3本はA字状に交差する。

    第二幌筵(擂鉢) 1、NE-SW 滑走路(長さ不明)
             2、NW-SE 滑走路(長さ不明)
             3、E-W 滑走路(長さ不明)
             上記3本は逆A字状に交差する。

    第三幌筵(加能別)1、NW-SE 滑走路1200X80
             2、NNE-SSW 転圧?滑走路1500X200

松輪島 松輪島 1、ENE-ESE 滑走帯1200X80
        2、NW-SE 滑走帯800X80
        上記2本はへの字状に連結。

新知島 新知 NW-SE 滑走帯1400X200

得撫島 東雲原 1、NW-SE 滑走帯1750X300
          (うち板敷滑走路1200X50)
        2、SW-NE 滑走帯1400X200
        上記2本はL字状に連結。

択捉島  蘂取第一 NW-SE 滑走帯1600X200

     蘂取第三 NW-SE 滑走帯1400X200
            (うち滑走路1200X50)
    上記のニ本は隣接して並行する。
    蘂取第二については不明。

    天寧 1、NW-SE 滑走路1200X80
       2、E-W 滑走路800X40
       上記二本はトの字状に連結。
       3、NW-SE 滑走帯1200X30
       4、NW-SE 滑走帯1200X40
       上記二本は並行して、それぞれの端部を誘導路で連結。

    択捉 紗那付近 詳細不明

       ※年萌(単冠湾を挟んで天寧の東側)にも飛行場の印が
        ある資料があるが、地図では確認できない。
        また資料によっては天寧の飛行場の1、と2、を年萌
        と呼称したとも解釈できるものがあるが、地図では
        天寧に4本の滑走路および跡が読み取れるため、ここ
        では4本を天寧に含めた。   





      





 

       


TRON > 出典は「試製基地要図第一(千島樺太地方)と思いますが、択捉島天寧については当時付近に住んでいた方が作成した(出版はされていない可能性大)本から、単冠湾側の1200m×80mと800m×40mのコンクリート舗装滑走路の飛行場が海軍天寧飛行場、その南西側の1200m×40mの滑走路が敗戦直前に完成した陸軍飛行場です。 (2001/08/18(Sat) 14:09:30)
TRON > ちなみに、後者の陸軍飛行場が現ブレベストニク空軍基地となっています。 (2001/08/18(Sat) 14:13:29)
TRON > また、得撫島の東雲原第二飛行場の完成時期は、当時、滑走路工事に携わった方の手記から昭和19年10月頃ということが判明しています。 (2001/08/18(Sat) 14:20:10)
ぼん > 第一資料は「試製基地要図」です。その後、別の手持資料から補足します。出典は米軍資料「THE JAPANESE RESOUCES REFERENCE NOTEBOOK,1945」米国立公文書館です。 (2001/08/20(Mon) 23:07:02)
ぼん > 占守島 第二占守 SW-NE 板敷滑走路「試製基地要覧」ではオホーツク海と別?沼を結ぶ狭隘部を通る道路が板敷滑走路になっています。1000?X50   (2001/08/20(Mon) 23:23:35)
ぼん > 幌筵島 第二幌筵(擂鉢)は「試製基地要図」内の図を45°半時計回転。すなわち1、滑走路がN-S, 2、滑走路がW-E, 3、滑走路がSW-NEとなっています。 (2001/08/20(Mon) 23:40:17)
ぼん > 第三幌筵(加能別)2、滑走路は1000X500となっています。 (2001/08/20(Mon) 23:44:06)
ぼん > 択捉島 蘂取第二 NE-SE 1600X200 (建設中断)     天寧 4、滑走路は舗装の記述になっています。陸軍の建設で後のブレべストニク空軍基地になったのはこれだと思います。『平成四年 国土地理院』 1:50,000「単冠湾」で確認。   年萌付近の飛行場もその痕跡はない。(同地図) (2001/08/21(Tue) 00:06:37)
ぼん > 択捉島の年萌には司令部の記載がある。また紗那付近には何の痕跡もない。 (2001/08/21(Tue) 00:10:10)
ぼん > しかしこの二つの資料は非常に似通っています。この米軍資料の成立は1945年5月7日です。捕虜や接収資料から作成されたとなっていますから、「試製基地要図」は何時の成立か分かりませんが、米軍資料以前には間違いなさそうなので、どこかで接収されたのでしょう。そこにはどんなドラマがあったのでしょうか。 (2001/08/21(Tue) 00:29:55)
TRON > 結構前ですが、当時の写真週刊誌に旧ソ連時代のブレベストニク空軍基地の空撮写真がありました。 (2001/08/21(Tue) 20:15:55)
TRON > それによると、旧陸軍飛行場は痕跡すら分かりませんが、海軍飛行場の方は、建物を除いて、滑走路と格納庫の基礎部分が残っているようです。 (2001/08/21(Tue) 20:17:23)
TRON > 著作権に問題が無いようなら?ここの画像掲示板にアップしますので。(どう見ても基地に着陸する機体から撮ったとしか思えないような代物なので、少なくとも日本側の出版社に著作権があるとは思えませんので) (2001/08/21(Tue) 20:20:03)
TRON > あと、占守第二は占守島別飛沼に作られた水上機用基地です。 (2001/08/21(Tue) 21:03:24)
TRON > また、戦史叢書によると、択捉島留茶別(蘂取)第一〜第三飛行場に20基、同島紗那飛行場に30基、得撫島東雲原第一、第二にそれぞれ20基、10基、幌筵島の北ノ台(柏原)飛行場に60基、占守島の占守第一(片岡)に30基の航空機用掩体が作られることになっていました。 (2001/08/21(Tue) 21:11:09)
ぼん > TRONさん,いつもレスありがとうございます。占守第二は水上機基地でしたか。日本側の資料に滑走路等の施設がないのはそのためだったのですね。 (2001/08/29(Wed) 18:46:48)
ぼん > ブレベストニク空軍基地の写真を見せていただきました。国土地理院の地図をまったく同じなのには,当たり前なのですが嬉々としてしまいました。旧海軍天寧基地の滑走路跡にも機体が並んでいるようですが,エプロンとして使用しているのでしょうか。国土地理院の地図では誘導路でつながっている様子はないようですが。 (2001/08/29(Wed) 19:52:09)
TRON > 旧海軍飛行場跡の方はヘリコプターの離着陸場になっていたようです。 (2001/08/30(Thu) 00:56:20)
TRON > 北方領土の国土地理院5万分の1地形図はフランスのSPOT衛星の写真から編集したもので、撮影時期は異なりますが、写真そのものは米国防総省が出していた冊子「ソ連の軍事力」にも載っていました。 (2001/08/30(Thu) 00:59:34)