芦屋陸軍飛行場

昭和14年(1939年)11月13日 遠賀郡芦屋町三里松原で起工式が行われました。 翌年五月29日完成。

芦屋陸軍病院は5月11日に完成していて、12月13日に芦屋飛行隊第一二四部隊の開庁式が おこなわれました。

芦屋に司令部を置いた第一四五師団は「護州部隊」と呼ばれ4つの歩兵連隊で構成して 米軍の上陸に備えました。

滑走路 北北西-南南東 1100 西南西-東北東 1100

終戦後 赤い矢部隊やP-51の第8戦術戦闘航空団が移駐してきました。
さらに基地業務を担当する第6122基地隊が新設されました。

昭和24年は第6122基地隊とSB17型救難機六機を主力とした第3救難飛行隊や 移動訓練で輸送機が来る程度の基地でした。

昭和25年朝鮮戦争が始まると、入間のB26が移動してきて連日爆撃の基地となり 日本人従業員も一万人になり、9月にはC119装備の第314輸送航空群(3飛行隊90機) 到着、極東空軍直轄の航空輸送司令部もおかれました。

戦争終了後の不景気を打開するために 自衛隊を誘致

現状 航空自衛隊第13教育師団が駐屯