新舞子飛行場(安藤飛行機研究所)
投稿者:
くろねこ
投稿日:2000/12/14(Thu) 19:40:26
大正12年(1922年)5月1日、安藤飛行機研究所(所長・安藤孝三)は従来、愛知県古見海岸にあった飛行場を新舞子海岸に移し、水上機を5,6機収容できる木造大格納庫の建設に着手した。安藤飛行機研究所は新舞子を拠点に、大正15年(1926年)9月から名古屋港−和歌山県新宮間に週1回の定期航空を実施している。また昭和2年6月には名古屋−二見浦−蒲郡の3角コース定期航空路を開設した。安藤飛行機研究所は、航空局海軍委託練習生の課程を終えた水上機操縦士たちが入所し、定期航空の経験を積む場ともなっていた。(一定期間在籍した操縦士は再び日本航空輸送などに移籍した)当時の写真を見ると格納庫が2棟あり、屋根には白文字で「アンドウ」「シンマイコ」と書かれている。
戦時中、安藤飛行機研究所は陸軍からの命令で、97式軽爆の水上機への改装計画に着手したが、戦局の悪化から途中で打ちきりとなった。
戦後、安藤飛行機研究所は安藤内燃機研究所と改称、漁船に航空機用エンジンを据え付ける仕事を始め、航空から身を引いた。海岸の格納庫は製塩会社に使われたり、倉庫や海の家として使用されていたが、昭和28年9月、台風13号によって倒壊した。