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 ▼死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか  ふらんく 10/9/1(水) 13:00
   ┣Re:死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか  どしろうと 10/9/1(水) 20:01
   ┣Re:死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか  アリエフ 10/9/1(水) 22:44
   ┣Re:死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか  k-mine 10/9/10(金) 13:34
   ┣Re:死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか  おうる 10/9/10(金) 20:01
   ┣Re:死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか  とおり 10/9/10(金) 21:11
   ┃  ┗そもそも・・  アリエフ 10/9/11(土) 1:15
   ┣Re:死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか  山奥の人 10/9/11(土) 11:31
   ┣Re:死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか  アイリス 10/9/11(土) 14:22
   ┣Re:死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか  こぶた 10/12/7(火) 23:44
   ┗Re:死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか  脳内真実 11/2/13(日) 21:41

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 ■題名 : 死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか
 ■名前 : ふらんく
 ■日付 : 10/9/1(水) 13:00
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   いつも楽しく拝見しております。
かねてより疑問に思っていたことなのですが明確に答えが出るものでないと思うためこちらに投稿させて頂きます。

私の疑問はどのようにして死ぬまで戦う第二次大戦時の日本兵が出来たかです。

現代の日本人は同じ状況下では第二次大戦時の日本兵の様に士気高く死ぬまで戦うということはありえないと思います。私の記憶では西南戦争時元が武士ではない政府軍兵士は一発撃たれただけで逃げ出したと思います。太平であったのは江戸時代も変わりません。
その「一発撃たれて逃げ出した兵士」がわずか2〜30年後の日清、日露戦争では勇敢な士気の高い兵士に変貌しています。

いかにしてこの様な兵士、軍隊が出来たのでしょうか。
皆様の意見をお聞かせ下されば幸いです。
また、私の周りには既に戦争経験者が居りませんので皆様の周りの戦争経験者の方の意見もご教示頂ければ幸甚です。

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 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか  ■名前 : どしろうと  ■日付 : 10/9/1(水) 20:01  -------------------------------------------------------------------------
   素直に軍人勅諭伴う教育の結果だと思うのですけど。

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 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか  ■名前 : アリエフ  ■日付 : 10/9/1(水) 22:44  -------------------------------------------------------------------------
   >西南戦争時元が武士ではない政府軍兵士は一発撃たれただけで逃げ出した
熊本城に立て籠もった熊本鎮台の政府軍部隊約4000人が、薩軍約14000人の攻撃に対抗し、長期間の篭城を行なってますけど。熊本城が有数の堅城であり、火砲等の装備において政府軍の方が優れていたという事情もありますが、「一発撃たれただけで逃げ出した」ほどヤワじゃないんですがねえ。
田原坂の闘いでは士族出身の選抜部隊である抜刀隊の活躍が有名ですが、その他にも士族以外出身者を多数含む部隊が薩軍と激戦繰り広げていたわけで。

西南戦争から遡ること10年ちょっと、第二次長州征伐のとき、長州軍は約20倍の兵力を有する幕府軍に対峙してますが、このときに活躍した奇兵隊等の長州軍諸隊は農民等、武士階級以外の出身者が相当多く含まれています。一方の幕府軍は幕府及び諸藩の連合部隊であるわけですが、武士階級ばかりで圧倒的な兵力差にも関わらず、士気は上がらず敗退しているわけで。

で、この議論はそんなに堅苦しく考えず、事実確認なんていい加減で構わないからジョークで語ってくれという趣旨でしょ。まさか、脳内真実で考えているわけじゃないですよね。

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 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか  ■名前 : k-mine  ■日付 : 10/9/10(金) 13:34  -------------------------------------------------------------------------
   それは単純に「他に選択肢がないから」じゃないでしょうかね。降伏は許されませんからね。
日本人が命令に従順なのは、別に説明の必要もないと思います。現代に生きる我々も、部長が帰らなかったら仕事が終っていても先に帰れないとかそういうことをやっていますからね。昔も今も変わらないと思いますよ。

別に特別日本軍だけが士気高く戦っていたわけじゃないと思いますよ。士気の高さでいえば米軍の海兵隊だって日本軍とほとんど変わらないような過酷な環境で粘り強く戦っています。

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 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか  ■名前 : おうる  ■日付 : 10/9/10(金) 20:01  -------------------------------------------------------------------------
    仕方ないとか教育したからという大雑把なレスだけでスレ主の方の疑問は解けないと思います。
 それらの答えは事実ではあるでしょうが、すべてではないでしょうし、スレ主の方が知りたいのは「では具体的には?」というものであろうと推察します。

 西南戦争の例ばかりではなく、日清戦争でも兵を束ねるべき下士官が率先して逃げ出してしまう事例があったそうで、健軍間もない日本陸軍は兵の士気の低さに悩んでいたという話を何かの本で読んだことがあります。
 そこから、日本陸軍はどのような点に着目し、参考にし、実施して・・・兵の士気向上を実現していったのか?
 残念ながら、私自身はスレ主の方を満足させうるだけの材料を持ち合わせていません。

 漫画家の水木しげる氏は自身の軍隊経験を振り返って「よくビンタされた。あのビンタが精強な日本軍を作り上げたのだろう。」と語っておられるようです。

 悪名高く語られることの多い戦陣訓については、銃後でこそ知れ渡っているが実際には知らない兵士や、戦後になって初めて知ったという兵士も多かったという話も聞きます。
 そもそも、開戦直前に出された訓話が全軍の士気をそこまで鼓舞すると考える方に無理があるのではないかと考えます。

 日露戦争の頃までは俘虜の扱いについては国際法を遵守しており、降伏についても特に問題があったような話は聞きません。降伏できない、俘虜になれない・・・「虜囚の辱めを受けず」という日本軍の特異な考え方は、どうも日中戦争の頃から根付いていったようだ・・・と、何かの本で読んだことがあります。
 不可抗力から敵の俘虜となった将校が日本に戻ってから軍法会議にかけられ、何の落ち度もなかったため無罪とされたにも関わらず、俘虜となったことを恥じてか自決してしまった事件があったそうなのですが、それをどうも過度に美談として報道したことがきっかけの一つとなったのではないか…と、その本の中では推測していました。

 そもそも、日本軍はそんなに精強だったのか?という点も検証すべきではないでしょうか?
 「あんな『天皇陛下万歳』とか叫んで死ぬのは映画の中だけだ。みんな『かあちゃーん』とか泣き叫んで死んでいった。」とか「敵を冷静に狙って撃ってなんかいられない。敵機が自分に向かってきたら怖くて顔を伏せてしまう。機銃を打ちっぱなしにしてると銃身が赤く焼けて垂れてくるのがわかる。それでも怖くて、後ろからどやされようが殴られようが弾が無くなるまで撃ちっぱなしにしてしまう。」といったような、精強とは程遠い話も戦争経験者から聞かされることもあります。

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 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか  ■名前 : とおり  ■日付 : 10/9/10(金) 21:11  -------------------------------------------------------------------------
   > 私の疑問はどのようにして死ぬまで戦う第二次大戦時の日本兵が出来たかです。

> いかにしてこの様な兵士、軍隊が出来たのでしょうか。

異議のある方もおられるでしょうが、一応このお題が正しいと仮定しますと、

帝国陸軍においては「弾薬・糧食が尽きたら投降せよ」という命令は出ない、そして敵前逃亡は死刑、
となっている以上、まさに最後まで戦うしか選択肢が無いですよね。ただこれが成り立つためにはみんながこの、あたかも絶対的取り決めのような状況を肯定している必要があります。トピ主さんの疑問は、1.なぜ「投降せよ」という命令が出なくなったか?そのような明文化された戦略戦術上の規定があるのか? 2.なぜみながそれを肯定するようになったのか? のどちらなのでしょう。それともさらに違う疑問をイメージしているのでしょうか。
1.についてはわかりませんが、2.については他の方も述べているように、まず日清・日露の戦争で勇敢な行為が名誉とされて大いに称揚され、さらに戦争に勝ったことによりますますその機運に拍車がかかり、そのような雰囲気が全国民的に醸成されてきたのではと想像できます。またそれを裏から支えるシステムとして内務班における暴力が発達・機能していたものと考えられます。

<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; .NET CLR 2.0.5...@78.18.30.125.dy.iij4u.or.jp>
 ───────────────────────────────────────  ■題名 : そもそも・・  ■名前 : アリエフ  ■日付 : 10/9/11(土) 1:15  -------------------------------------------------------------------------
   士気が高く組織としての統率が取れ、個々の構成員が意欲的に任務に当たっている軍隊と、何らかの強制(暗黙のものも含めて)の下に行動せざるを得ない、制裁を受けるのが嫌だから撤退なんぞできないという軍隊とを比べて、どちらが「精強」か?と問うやり方は無意味なんでは?
後者であれば、大戦中のソ連軍のように督戦部隊使って兵を前線向かって突撃させるという方法もある。
ま、硬く考えず、床屋談義か与太話してくれってことかね・・

<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; .NET CLR 1.1.4...@KD114018120253.ppp-bb.dion.ne.jp>
 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか  ■名前 : 山奥の人  ■日付 : 10/9/11(土) 11:31  -------------------------------------------------------------------------
   西南戦争初頭の植木、木の葉の戦いでも、徴兵した兵士は圧倒的に優勢な西郷軍を前に奮戦しており、一発弾が飛んできたら逃げ出していたとは思えませんが…。そもそも徴兵制が、今まで鉄砲なんか撃ったことがない、一発弾が飛んできたら逃げ出すような連中を集めて、命令あるまで退却せず、それこそ死ぬまで戦うように仕上げる制度なのですから、そのことには何の不思議もないと思います。ただしつい十年前まで日本人の自覚さえなかったこの当時の国民に、なぜ徴兵制が曲がりなりにも機能しえたか、と言うのは確かに議論の対象はあるでしょう。
太平洋戦争時の「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ。」といった精神性は、これとはまた違う問題と考えます。

<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 6.0; Trident/4.0; YTB730; GTB0.0...@245.241.183.58.megaegg.ne.jp>
 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか  ■名前 : アイリス  ■日付 : 10/9/11(土) 14:22  -------------------------------------------------------------------------
   私見を申し述べたいのですが、、、
日本人は、「長いものには巻かれろ」的な民族だから、死ぬまで戦うように教育(洗脳)してないと、西洋式の強い軍体が維持できなかった面もあったとききます。鬼畜米英と言ってたのが、一夜でギブ ミー チョコレートに様変わりするのですよ。だから、「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ」という軍人精神を叩き込まれてきたのだが、それもかえって負に作用した面もあるようです。つまり、さんざん敵を懲らしめて、最後に捕虜となって敵方に御厄介になる(もし虐殺でもすれば国際法に違反したといってつつかれる)よりは、最初からヘマをして死んだ方が、美徳とされてきた。それが死に急ぐ日本兵のイメージを作り上げてきた側面もあると思います。

<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 6.1; WOW64; Trident/4.0; YTB720;...@p5089-ipad07oomichi.oita.ocn.ne.jp>
 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか  ■名前 : こぶた  ■日付 : 10/12/7(火) 23:44  -------------------------------------------------------------------------
   逃げ道が無かったのです。
当時は今よりもっと村社会の悪弊が横行してました。
都会ですら何とか婦人会というような形で…
死ねば名誉の戦死、捕虜になれば家族は村八分。
貴方に可愛い妹や弟が居たらどうしますが?
自分の為に後ろ指指される人生を送らせますか?
それとも、僕(私)のお兄ちゃんは名誉の戦死をしたと胸を張れる人生を送らせますか?
オマケに米軍は降伏を認めてくれるかどうかも判りませんよね?
あぁ、すみません、戦死なさった方を貶める気持ちは毛頭有りません。
ですが、家族の為に という気持ち、またそこに追い詰める社会風潮は少なからず有ったと思いますよ。

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 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:死ぬまで戦う日本兵はいかにして出来たか  ■名前 : 脳内真実  ■日付 : 11/2/13(日) 21:41  -------------------------------------------------------------------------
   精神論の大好きな私がいろいろ妄想してみました。
先の大戦では、兵士個人が戦争をどう考えていたのか。
当時はまだ有色人種対白人という人種差の意識が強かったのでは。
日本が負けていしまうと、もう我らアジア人は白人の家畜になってしまうというような運命の決定がされると思っていたのではないか。
一方、ヨーロッパでは、戦争というのは政治外交の続きで、負けて国境の位置が変わってというのは、何度もあって戦争もルールの上でのゲームのような意識があるのでは。

<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 6.0; Trident/4.0; GTB6.6; YTB730...@182-164-246-9f1.osk2.eonet.ne.jp>
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