|
> > いわゆるタカ派軍人が「欧米何するものぞ」と鼻息の荒い論調で日本を戦争へ導いたことは否定しませんが、その背後で「そうだそうだ」「やっちまえ」と調子を合わせていたのは日本国民そのものであり、戦後はすべて「軍部」が悪かったことにして「自分達も被害者だった」と言い逃れている節は感じませんか?私はそう感じています。ゆえに、対米戦争の責任を「職業軍人」に問おうとするじゃまさんの主張には論理の飛躍を感じます。
>
> おっしゃるとおり、ですね。
> これはわたしが悪い。
しかし対米開戦の是非はとりあえず置いたとして、もし戦争に負けたらどうなるのか、負けたらどうするのかという検討が真剣になされていない(と私には思える)のは、戦争のプロである職業軍人の職務怠慢として批判されるべき点かもしれません。勝てないかもしれない・負けるかもしれない強大な国家を相手に戦争を始めるにあたり、「負けたらどうする」というプランがほとんど無いというのはあまりに杜撰だったのではないかと思います。
あるいは私が不勉強なだけで何らかのプランがあったのかも知れません(よく言われているのはソ連の仲介に期待していたという話ですが)、史実でそれを実行に移せなかったのはご存知の通りです。
私の見解をまとめると、
対米戦争は不可避であったか?
回避が不可能だったわけではないが、1941年末の段階では非常に困難な状況にあったと思います。仮にハルノートを飲んで中国から撤兵してもアメリカが石油を売り続けてくれる保証はなく、日独伊三国同盟がある以上日本は常にアメリカの仮想敵国であり、石油・鉄鋼の禁輸やアメリカ側からの日本への宣戦布告はいつでも起きる可能性があったと考えます。そして20年近くにわたって国費と流血を注いできた中国からの撤兵は日本国民にとって受け入れがたいものであり、それを断行すれば暴動・クーデター・経済破綻などが起こる危険があったことが、日本が対米開戦に踏み切った理由の1つであると考えます。
対米開戦は必然であったか?
もしあんな結末になると判っていれば、クーデターや経済破綻などのリスクを侵してでも対米開戦回避に努力したであろうと私は考えます。しかしそれはあくまで結果を知っている後世の後知恵であり、当時の軍部・政治家・国民にその視点が欠けていたことをもって責めるのは酷ではないかと思います。
真珠湾攻撃は成功であったか?
戦術的には一定の成功を収めた作戦であったと評価すべきでしょう。ただしアメリカ国民の半日感情を爆発させ、アメリカ世論を参戦に傾けたばかりでなく、生半可な条件では講和を受け入れられない状況を作り出してしまったことは大失敗であったといえるかもしれません。
他にどんな選択肢があったのか?
「起きなかった歴史」の評価は難しいです。仮にハルノートを受諾していたとしても、それで対米戦争が回避できた保証はありません。もちろん回避できた可能性もありますが、そこから先は水掛け論になってしまいます。
ただし、対米戦争が当時としては「多分にやむを得ない」選択だったとしても、「負けたらどうなる・どうする」という具体的方策が曖昧であったことは批判されて然るべきではないかと思います。
|
|
|