|
> ためらったと思いますよ。
> 米軍参謀本部では、イギリスと日本を同時に敵にした場合を想定した
> 「レッド・オレンジ・オペレーション」
> がありまして、その場合、軍事資源が不足するので、対英戦を優先することにしていました。
あなたがおっしゃっているのはカラーコード戦争計画の一部ですね。それは1920年代に米軍内で行われたシミュレーションで、時勢に適合しなくなってきたため1939年に凍結されています。
同年6月からレインボープランの策定が行われ、大まかに5つの方針が想定されていました。チャーチルとルーズベルトの会談の結果、このうちの5つ目の対日&対独伊の二正面作戦を大西洋方面優先で遂行する方針が採用されますが、それは真珠湾攻撃の半月後のことであり、真珠湾攻撃によって米太平洋艦隊の戦力が大幅に低下してしまったことが理由の一つになっています。
本来、真珠湾攻撃までは米海軍の意向により、対日&対独伊の二正面作戦を対日優先で遂行するレインボー2が最有力方針となっていました。
米軍が欧州を優先したというのは、真珠湾攻撃の影響を受けた結果の一つでしかないのですよ。
> 待たせたのはなぜかというと、アジア方面はヨーロッパより優先度が低いからです。
前述の通りで、それはあなたの事実誤認です。
純粋に、準備が整っていなかったからにすぎません。
> 米国が戦争を仕掛けて得るものはほとんどありませんよ。
> げんに、中国は蒋介石に援助するだけで、米軍が介入することはなかった。
> あ、フライング・タイガースがありますけど。
日本の対米開戦が無ければ、史実のドゥーリットル爆撃のように爆撃隊が米空母から発艦し、日本を爆撃してから中国へ向かうという計画も存在しています。
が、そんな些末なことはともかく対枢軸参戦はほぼ既定路線でした(ただし、米国民は知らなかった)し、前述のとおりレインボープランでは本来対日戦を先に片付けることが有力視されていました。
> 浅学にして「周知のとおり」を知りません。
> ご説明願いたく。
12月を逃せば北太平洋は冬を迎え作戦遂行が困難になり、春まで太平洋北部での積極的な作戦を展開できません。
対して侵攻先の太平洋南部は気候が安定しているので作戦遂行は問題ないのですが、これは敵にとっても同じです。
米艦隊にフリーハンドを残したままこの状態になれば、侵攻先の太平洋南部を制圧する前に米艦隊の迎撃を受けることになり、しかも海戦の主導権は米艦隊側に与えてしまう可能性が高くなります。
米艦隊にフリーハンドを与えないように事前に撃破、ないし牽制するためには先手を打つしか方法がなく、それが実行できるのは12月が最後のタイミングだったのです。
その辺の解説は真珠湾攻撃を扱った書籍を漁ればいくらでも出てきませんか?
> あの、欧州のイザコザというのは、田舎のアジアよりずっと優先度が高いのですよ。
> 大西洋経由の貿易額は、アジアなんか問題にならないほど大きかった。
> あの、米国がヨーロッパ方面に投入した兵力はアジアよりずっと大きいので。
> ナチス・ドイツは1940年にイギリス以外の全ヨーロッパをほぼ統一していて、
> たいへんな勢力圏だった。
戦争は必ず強い敵から倒さなければならないわけではありませんし、経済は利益の絶対額だけで評価されるわけでもありません。
徳川家康は本能寺の変の後、所領に戻ってからその戦力を未だ混乱している「表舞台」である近畿地方へは向けず、「田舎」である東へ向けました。
産業を興すうえで重工業と軽工業では利益の総額が大きいのは間違いなく重工業です。しかし、明治から戦前までの日本でも他の発展途上国でも投資家は軽工業へ投資したがり、政府が何らかの施策で誘導しなければ重工業への投資は集まりにくい。
あなたのいう事が正しいならば、こうした事象は不条理そのものであり起こらないはずですが、現実にはそうした事象が起きています。そこにはそれなりの理由がありますが、あなたはそれを無視しているように思えます。
そもそも、そこまで貿易額の規模が重要ならそもそもモンロー主義が採用されること自体があり得ません。最初から欧州に積極介入していたはずです。
> いえいえ、それまで米国は対独宣戦すらしていなかったのですよ。
対独参戦がモンロー主義とそこまで密接な関係があるのなら、なぜ真珠湾攻撃の前年から米国は戦争の準備を始めていたのですか?
米国はWW1でも対独参戦しましたが、あれはどう説明されるのですか?
> でも、彼らは関与したがった。
> 「統帥権干犯」が殺し文句ですね。
統帥権云々は政府が軍人に介入しようとしている時の話ですね。
海軍についていえば、海軍軍縮条約の交渉時期にありましたが、それは対米開戦を促すような場面であったのですか?
> そうは思えませんね。
> ではなぜ、負けるに決まっている戦争をはじめてしまったのでしょう?
ひょっとして開戦の責任が日本にだけあると考えているからそういうおかしな疑問から抜け出せないのではありませんか?
日本はハルノートが出される直前まで対米開戦を外交交渉で回避できる目算があったのです。列強がそうであったように当時の日本も外国の外交暗号解読に成功しており、米中間の外交交渉がどんな様子かはある程度把握していました。
その分析結果によれば、米政府は現状以上の強硬策をとってくる可能性は低く、時間が稼げればより日本に有利に交渉を進めることができると期待していました。現状が自身にとって好ましく進展している状況で「余計なこと」をすれば、事態は不利な方向へ進みかねない。だったら「余計なこと」はしない方がいい。
ところが、南シナ海を航行していた日本の船団は東南アジアへ派兵される新たな日本軍部隊であると誤った報告が米政府にもたらされ、米政府は予想外の方針転換を行い、ハルノートという最後通牒に等しいカードが切られてしまいます。
ハルノートは本当に日本にとっても中国にとっても、当の米国自身にとってすら「予想外」のカードだったんですよ。
> その「目的」は全く無意味だったわけで、進出した南方を確保できたのは、たかだか3年に過ぎない。
> 3年のために260万人を戦死させる意味は全く無い。
>
> そもそも、奇襲をやったのは、正攻法ではとても勝ち目がないからでしょう。
> 小手先を弄したところで、どうにもなりません。
勝ち目があろうが無かろうが始まってしまった以上は戦わなければならないのが戦争です。そして、戦う以上はなるべく勝つように、勝てないまでも負けないように、負けるにしても少しでもマシな負け方をするようにするものです。
戦争を戦うかやめるかは軍人が決めることではありません。政府が決断し、外交によって決するものです。
そして、山本五十六自身が「是非私にやれと言われれば一年や一年半は存分に暴れて御覧にいれます。しかしその先の事は全く保証出来ません」と近衛首相に言っていますし、戦前の総力戦研究所で行われた机上演習でも「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」と、日本必負という結果が出ています。
日本政府は「日本必敗」を理解したうえで開戦に踏み切っています。
つまり、問題の根本は政府や国民、もっと言ってしまえば日本全体にあるのです。
なのに、なぜあなたはその責任がすべて真珠湾攻撃に集約されるかのように言われるのか、私には全く理解できません。
> いえいえ、真珠湾を攻撃するというのは、米国と全面戦争にはいることと同義です。
私は対米全面戦争に入らないなどと言っていませんが、この言葉はどういう意味で書かれたものですか?
> 「先手必勝」の意味がわかりませんが。
> あっという間に負けてしまったのだから。
> 警備兵力に毛の生えた程度の場所に乗り込んで「戦果」といわれてもねえ。
強い敵を避けて防備の弱いところを突くのは戦の常套ですよ。
敵が守りを固める前に可能な限り地歩を稼いで、防備を固めるのは当然のことです。しかも、その地域には日本が欲しかった資源があり、かつその策源地を守るための陣地を構築するための土地でもあったのですから。
日本は南方へ進出しなければ戦争継続のための資源を手に入れる目途さえ立たちません。そして南方へ進出するための一番の障害は米太平洋艦隊です。
対米開戦が決定した以上、ほかにどんな手段があったというのですか?
「目的」は全く無意味だったという評価を下す以上、他により有効な手段があったという確信がおありだと思いますので、是非ご披露していただきたく思います。
> 第三国経由で、どうにでもできたでしょう。
> もちろん、スポット価格で、おそろしく高くついたでしょうけれど、それでも戦争を始めるより遥かに安価である。
> 当時のオランダは、亡命政府がロンドンにあるだけで、何の力も無かったのだから。
だから、どこの国から買えたというんですか?
どこの国でとれた石油を、どの国を経由して買えたんですか?
オランダは亡命政府があるだけとは言っても、交渉権は蘭印総督が持っていましたし、その総督との交渉は失敗しているんですよ。
そもそも、このスレッドは真珠湾攻撃の是非を扱うものであって、対米開戦の是非を問うものではないと思います。
なぜ、対米開戦の是非と真珠湾攻撃の是非を一緒に扱っているのですか?
両者が次元の異なる話であることは理解しておられますよね?
|
|
|