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> > > あなたがおっしゃっているのはカラーコード戦争計画の一部ですね。それは1920年代に米軍内で行われたシミュレーションで、時勢に適合しなくなってきたため1939年に凍結されています。
> > > 同年6月からレインボープランの策定が行われ、大まかに5つの方針が想定されていました。チャーチルとルーズベルトの会談の結果、このうちの5つ目の対日&対独伊の二正面作戦を大西洋方面優先で遂行する方針が採用されますが、それは真珠湾攻撃の半月後のことであり、真珠湾攻撃によって米太平洋艦隊の戦力が大幅に低下してしまったことが理由の一つになっています。
> > > 本来、真珠湾攻撃までは米海軍の意向により、対日&対独伊の二正面作戦を対日優先で遂行するレインボー2が最有力方針となっていました。
> それは違いますよ。
> チャーチルとルーズベルトの会談が行われたのは、真珠湾奇襲の2週間あとですよ。
そうですが?
ちゃんと「真珠湾攻撃の半月後のこと」と私は書いてますよ?
あなたは相手がいう事を理解せずに言葉のうわべだけに反応してレスを返しているのですか?
> > 米軍が欧州を優先したというのは、真珠湾攻撃の影響を受けた結果の一つでしかないのですよ。
>
> 真珠湾攻撃にもかかわらず、欧州優先が確認されたわけですね。
> チャーチルは米国の欧州参戦をのぞんでいたのですから、太平洋なんて後回しでいいのです。
欧州優先はチャーチル(英国)の都合であって、米国の意向によるものではありません。米国がチャーチルの要望通りに欧州優先に切り替えたのは、真珠湾攻撃による状況変化を受けての事です。
レインボープラン立案の中心人物であるウェデマイヤー自身は、ルーズベルトがチャーチルの口車に乗って戦争計画を引っ掻き回さなければ戦争は史実より2年早く終結したはずだったと回顧録に記しています。
> でも、チャーチルとの会談の結果、それは覆されたわけでしょう?
> せっかく真珠湾を攻撃してあげたのに、振り向いてもらえなかった。
> 太平洋なんて、裏庭なんですよ。
なんで、「振り向いてもらう」必要があるんですか?
本来なら米国はレインボー2に定めた方針に沿い、太平洋方面(つまり対日戦)を優先するはずだったのが、真珠湾攻撃によって太平洋艦隊の主力が消滅したため、大西洋方面優先のレインボー5に切り替えた。
これによって日本海軍は本来の目的である南方進出への時間を稼ぐことを成し遂げたわけです。
> 天候がどうしたとか、まったく戦術的な判断ですね。
> もうちょっと気のきいたリクツを期待していましたが。
歴史はあなたを面白がらせるために存在しているわけではありません。
事実は事実です。
変な期待を抱いているから、事実と異なる理解をしてしまうのではないのですか?
> でも、現に欧州優先ということになったのですし。
> 日本軍は連戦連敗の弱敵だったでしょう?
> 後回しでいいんですよ。
米国にとってはもともとどちらを優先させたとしても短期的には大きな違いはありません。どうせ両方を相手にするつもりだったのですから。
結果的に米国をして太平洋方面を後回しにさせることに成功したのは真珠湾攻撃の一つの成果であり、南方進出のための時間を稼ぎたかった日本にとっては最大の戦果と言っていいでしょう。
> 軽工業と重工業の話が唐突にでてきましたね。
> ご説明願いたく。
経済の話が出てきたので、経済の話をしたがる人に合わせて理解しやすいようにたとえ話をするつもりで重工業/軽工業の違いを出したのですが、総額だけでしか経済を見れない人にはやはり理解できないようですね。
費用対効果とか効率の話です。
これでもわからなければ別のレスで説明します。
> モンロー主義が意味するのは政治的中立です。
> そして、それを放棄したとき、最初に介入するのは欧州と決めたわけです。
それも史実と異なります。というか、あなたはモンロー主義自体を誤解しています。
> 軍隊は自らの存在理由を常に必要とするのですよ。
> 「米国が」ではなくて、「米国陸海軍が」準備していたのですね。
レインボープランの立案を命令したのは米陸海軍ではなくルーズベルト大統領であって、戦争の準備は米政府の主導によるものです。
あなたのその認識は全く事実に反します。
> ウィルソン大統領の方針ですね。
> 「正義は戦争に優越する」
> という。
正義が戦争に優先するのであれば、モンロー主義は堅持されなければなりません。
WW1への参戦はモンロー主義の事実上の放棄です。
せめてWikiのモンロー主義のページで良いですから読んでください。あなたは明らかに誤解しています。
> 米国が先に手を出させたのは、うまいやりかたです。
「先に手を出させた」と考えている時点で、一方に責任があるという主張は成立しません。
> このロジックには飛躍がありますね。
> 勝ち目が無い戦争はやめなければいけない。
飛躍しているのはあなたの考え方です。
戦争をやめる権限は軍隊にはありません。戦争をするかしないか、どうやめるかは政府が決定することです。軍は政府の下部組織に過ぎず、戦争は外交手段の一つです。軍は政府の方針に従って戦争をするのです。軍隊が勝手にやって勝手にやめるものではありません。
> そういう「みんなが有罪なのだから、みんな無罪だ、なかよくしようや」
> という、日本流議論がまかりとおってしまうのが問題なので。
>
> 当時の民衆にどれだけ政治的な力があったというのでしょう。
> 大政翼賛会のあとで抵抗を続けたのは共産党と創価学会ぐらいなものでしょう。
当時の陸海軍であれ政府であれ、民衆の影響力は無視できませんよ。
民衆の影響力を無視できるくらいなら、ハルノートを呑んで是が非でも戦争を回避したでしょう。それをしなかったのは、日本国民の怒りが自分たちに向かうのを恐れたために他なりません。誰も第2の小村寿太郎にはなりたがらなかった。
ロシア革命の混乱をついて軍事行動に出ようとした日本政府および陸軍は、米騒動の影響で寺山内閣が総辞職に追い込まれています。
その後、陸軍はマスコミを使って大衆を扇動し、民意の後押しを受けられるように世論をコントロールしようとしていきますが、北進派・対支一撃派の対立といった内紛もあってコントロールしきれなくなっていっています。当時の軍と国民の関係は、今の中国と似たような状況だったと言えます。
ついでに言うと「なかよくしようや」なんて私は一言も言っていません。そういうニュアンスを含んだ発言をした記憶もありません。
> だって、真珠湾攻撃は、米国と全面戦争やりますよ、というサインだから。
> もう、外交や局地紛争で終わらせるつもりはないですよ、というわけです。
結果的に前後したとはいえ全面戦争をやりますよというサインは「宣戦布告」であって、攻撃そのものではありません。第一、攻撃自体は真珠湾以外でも実施されています。
真珠湾攻撃だけを実行しなかったとしても、全面戦争自体はすでにすることが御前会議で決定されていますから、海軍に全面戦争を回避する術なんかありません。真珠湾攻撃は政府の決定に従って行われた戦争の、数ある軍事作戦の一つでしかありません。
> でも、真珠湾攻撃と対米戦は区別されるべきだとおっしゃっている。
あたりまえじゃないですか。
真珠湾攻撃は対米戦の中で行われた軍事作戦の一つでしかありません。
源平合戦のすべてが「富士川の戦い」に集約できるわけではありません。
> それが間違い。
> 日本が資源を求めた地域に、米国領はありません。
あなたの国際感覚はWW1以前の時代のもののようです。
あるいは、現在の中国が持っている国際感覚に近い。
国際問題は当事国だけではなく国際社会全体で解決していく方針はすでに定着しています。失敗したとはいえ、国際連盟がすでにあるのです。
日米両国とも当時は国際連盟に加わっていませんが、2国間の外交問題であっても世界大戦に発展してしまう可能性を排除するために、当事国以外も含めた国際社会全体で取り組まねばならないという考えは、当時の国際社会の共通認識となっています。
ただ、その具体的な手法が確立されていなかっただけです。
> 対米開戦を決定すべきではありませんでしたね。
> 仏印撤兵、満州を除く大陸からの撤兵。
> できない相談ではありませんよ。
それは政府の責任であって日本海軍に、ましてや山本五十六個人に集約できる責任ではありません。
> いいえ、あきらめたというのが正解でしょう。
> 儲けがあれば、売ったでしょう。
> イギリスは、イタリアにRe2000戦闘機を60機、注文しています。
で、あなたの考える当時の日本に石油を売ってくれる国はどこですか?
当時の産油国がどこか、それらの国が日本とどういう関係にあったかを調べれば自分がどれだけ見当違いなことを言っているか自ずと理解できるでしょう。
ついでに「ABCD包囲網」で検索することをお勧めします。
> いえいえ、真珠湾を攻撃するのは、対米開戦と全く同じ意味です。
> 真珠湾を奇襲すれば、それでオワリ、ではない。
>
> あれを起点に、日本軍の連戦連敗がスタートするのですから。
それはあなたの頭の中だけで成立する理屈であって、世の中の一般常識には適合しないものだと思います。論理的ではなく、感情的、あるいは感傷的なモノの見方でしかありません。
繰り返しになりますが1941年12月8日に日本軍が攻撃を開始したのは真珠湾だけではありません。仮に、全くどこも攻撃しなかったとしても宣戦布告はしてしまうのですから、全面戦争は避けようがないのです。
そして「宣戦布告」は日本海軍が行ったものではなく、日本国外務省がやったことであり、それを決定したのは日本政府です。
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