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あらかじめ断っておきます。人道とか倫理とか道徳とか平和主義とかいう観点や尺度はここではあえて無視します。このレスを読む人もここに返信をぶら下げる人もそのつもりでお願いします。
「戦争が公共事業として経済を活性化させる」という話は軍人、軍需産業関係者やミリオタの中にはいかにも説得力のある話として信じている方もいらっしゃいますが、現実にはそんな話は成立しません。
「戦争」ではなく「軍事」は規模次第では確かに公共事業として経済に寄与することはありますが、適正な規模を超えると逆に経済を圧迫します。
また、「戦争」であっても短期的には経済を活性化させる場合がありますが、多くの場合長期的にみると経済効果はマイナスになる傾向にあります。
さらに言うと、長期的に経済効果を及ぼす場合が無いわけではありませんが、それには条件があり、その条件は近代以降ではほぼ成立しなくなっています。
経済の本質はモノの流れであり、需要と供給の連鎖によって成立しています。
大きな需要があればそれに対応した供給がなされ、供給者は利潤を得て更なるさらなる供給のために需要を作り出す。
戦場や軍が巨大な消費者となって需要を作り出すことから、そこに供給者たる産業が対応し、経済が活性化していく・・・というのが、「戦争は公共事業」という考えの根拠となっています。
しかし、経済の本質は厳密に言うと、モノの「流れ」ではなくて「循環」なんですよ。ミクロ的には「流れ」で間違っていないんですが、マクロ的には「循環」として捉えなければいけません。
供給される物資は消費されるだけではなく、消費した物資を糧に労働力等の資源を別の需要に対して供給することで循環し、その連鎖が経済の流れを維持するのです。
「(戦争ではない)軍事」の場合は、軍が税金を使って様々な物資を消費し、それを糧に「安全」を供給することで経済に寄与します。軍が平時に供給できる「安全」にはこれ以上は無いという限界が存在するので、軍の消費規模が大きすぎると経済を圧迫してしまいます。
これが戦争になると話が特殊になっていきます。
戦争は大量の物資や人命を消費しますが、その消費を糧に供給できるものがあるかというと、あまりありません。
大昔のような侵略/略奪を目的とした戦争であれば、投資に対して利益が得られるわけですから公共事業として成立する可能性が出てきます。
戦国時代末期や十字軍遠征前夜の中世欧州のように、戦う事しか知らない武人が堅気な仕事もせずに食うに困って大量にあぶれている状況であれば、その武人たちは存在そのものが社会不安の元凶になってしまうわけですから、それをかき集めて戦場に送り出して、その人命を消費することで社会不安を減少させることによって経済に貢献する…という話も、マルサス主義的ではありますが一応成立します。
しかし、戦争が公共事業として経済に貢献するのはそれだけなんです。
戦争は大量の消費をもたらしますが、供給はしません。特に、侵略や略奪がタブー視されるようになった近現代ではなおさらです。
大量にお金を使って大量に消費し、大量のモノを流して経済を活性化させても、そこに消費を上回る何かが供給されなければ、やがて経済全体がしぼんでいくのです。
家庭用流しそうめん機の電源を入れれば、そこでそうめんを流すことはできますが、そこで消費される分だけのそうめんを注ぎ足さなければ流れるそうめんの量は減っていかざるを得ません。
大量の消費によって強引にモノを流通させても、そこで循環するモノの総量が減っていけば、結局は経済規模そのものが縮小してしまうのです。
つまり、戦争では循環するモノの総量が必ず減少していくので、たとえ自国が敵国の攻撃による被害を全く受けなかったとしても、略奪等によって新たな何かが供給されない限り、経済全体としては必ずマイナス効果を及ぼしてしまうのです。
戦争経済の政策の実態とは、「戦争によって経済を活性化させる政策」ではなく、「戦争による損失に経済が耐えるようにする政策」「経済が受ける戦争の影響を局限する政策」なのです。
では日中戦争が公共事業だったのか?というと、それは明確に否と言えると思います。
対米開戦は南方資源獲得が明確に目的になっていたので、公共事業としての側面があったと主張することはできるでしょう。日本の経済を維持するために必要だった資源を断たれ、それを自前で獲得することは経済そのものの命脈を保つために必要な事業として位置付けることが可能です。
現に南方進出とそれによる資源獲得は急増とはいえ計画があり、それなりの準備がなされました。戦争をどうやって終わらせるかという目標は全くありませんでしたが、不敗体制を築くという戦争の中間目標のようなものは一応ありました。
それは事実上の侵略/略奪戦争だから、成功しさえすれば経済に寄与するので「公共事業としての戦争」は成立します。
しかし、日中戦争はそうした目的がありません。計画性も準備もありません。
政府のあずかり知らぬところで突然始まり、収束の目途もなく、状況に流されるまま行き当たりばったりで、収拾もつかないままなし崩し的に拡大していき、政府は状況に対応しきれていませんでした。
計画性が無い以上、それはもはや事業ではありません。
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