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> 戦時中の軍用機増産を阻んだ最大の要因は発動機生産で、
> これは機体製造会社を増やそうが減らそうが変わりません。
首なし飛燕の例もありますね。
> 航空工業を総動員して機体製造会社各社で同じ機種を造り続けたドイツでは
> 後継機のFw190が完成しても旧式化したBf109の量産を
> 生産切換えによる完成機数の落ち込みを回避するために、
> 量産を止めようとしてもいつまで経っても止められず、
> その結果派生型ばかりが増えてかえって効率が低下しただけでなく、
> 今度はその統合に悩む結果となっています。
戦前に日本でT型フォードを生産していた工場は、T型の生産終了と次期モデルへの転換の際、設備更新と工員の訓練のために半年だか1年だか操業を完全に停止しました。現代の常識からすれば考えられないことですが、当時の大量生産技術ではそういうものだったのでしょう。
複数の生産ラインで生産しているものを、生産規模を維持したまま機種転換していこうとすれば生産ライン1本ずつ順次転換するしかなく、全体の機種転換期間は生産ライン数×転換期間になってしまいます。
仮に生産ラインの転換に半年を要し、10本の生産ラインで並行生産しているとしたら、機種転換完了まで5年もかかることになってしまいます。
その間、旧式機はマイナーチェンジによって派生型を増やしながら性能水準を維持しつつ生産を継続することになるので、おっしゃるように旧式化したBf109が10回を超えるマイナーチェンジを繰り返しながら生産され続けるとうような事態は必然的に発生してしまいます。
そうなると、1機種を担当する生産ラインは少ない方が機種転換がスムーズに行え、生産規模や空襲被害リスク軽減を考えて複数の生産ラインで並行生産するとしても、せいぜい3〜5本もあれば十分ということになります。1機種の生産ライン4本で生産ラインの機種転換期間が半年、生産ラインを1本ずつ機種転換し続けるとすると、旧式機から現行機へ機種転換を開始し、現行機から次期機へ機種転換して生産終了するまで3年半〜4年。1つの軍用機がマイナーチェンジしながら前線で運用される期間としては順当と言えそうです。
戦闘機の開発期間(開発開始から量産開始まで)が当時でだいたい4〜6年ですから、仮称戦闘機Aが量産開始してから次期戦闘機Bを開発開始、5年で開発を完了して機種転換を開始すると機種転換完了まで7年。さすがに一つの機種を前線で運用するには長すぎる。で、2機種を同時に運用することで開発期間分のタイムラグを圧縮すれば、最新の機体を1機種当たり3〜4年ぐらいずつ、無理のない範囲でマイナーチェンジを繰り返しながら前線に配備し続けることが可能になる。
複数機種の並行運用は確かに無理に機種統一するよりも優位・・・というより、開発期間や機種転換期間を考えると開発期間の異なる2〜3機種を並行生産&運用するのは必然ということになります。
(なお、生産ラインの転換期間が半年というのはあくまでも話を単純化するための仮定です。当時の航空機生産ラインの機種転換に実際にどれくらいの期間が必要だったのかは存じません。)
> 機体は零戦と隼が両方とも全力で生産されている傍らで
> 次期戦闘機が陸海軍バラバラで幾つもの機種が量産されつつある、
> といった史実の状況の方が有利なのです。
問題になっているのは、そして統一すべきとされているのは、同じような時期に開発した複数の機種を陸軍と海軍で別々に並行生産&運用している点でしょう。
要求しているモノが違うのだから同じ〇〇機でも違う機体にならざるを得ないというのは仕方がありませんが、統一可能な、しかも同じような開発時期の機体が別々に発注されることの無駄を無くせなかったのか?という点と、陸海軍の異なる機体を両者が融通しあうことができたのではないか?という点が本スレの主題であると思います(で、後者についてはすでに答えは出されていると認識しています)。
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