|
> このように三国ともお互いに誤解し合っていました。
> 上記の例の「真実」がどうあれ、その時代では人々はそれを「真実」だと思い、その前提のもとで政策決定や戦略立案がなされました。中にはそれを考慮に入れず「それは全部こうだったから結果的には誤りで意味はない」という方もいるでしょう。はたして、日米中はお互いの誤解を解いて和解することはできたのか。もしくはお互いを誤解したままでもなんとか不戦の状態を保つことができたのか。
中国:外国の傀儡ではない、中国人による近代国家・中国を樹立したい。しかし「我こそは近代中国の礎なり」と自称する勢力が複数あったこと、その中には「中国人による中国」を歌いながらも便宜的に外国の勢力を借りた勢力(蒋介石の親米路線は露骨です)が多かったため、必ずしも一枚岩ではありません。
米国:中国に親米の安定政権を樹立し、新市場を開拓したい。この方針は日本のそれと真っ向から対立しますし、「中国人による・中国人のための近代国家中国」を掲げる中国の本音とも必ずしも整合はしません。ただし「日本帝国の侵略」は共通の敵であり、便宜的に米国を担いだ蒋介石の意向とも一次的には一致します。
日本:「日本の生命線」と内外に喧伝した満州の保全が日本帝国の命題ですが、満州保全のために中国へ武力侵攻する必然性はよくわかりません。親米派の蒋介石率いる国民党軍が北伐によって勢力を伸ばしつつあったことが満州の保全を脅かしたと感じられたのかも知れませんが、盧溝橋に端を発する日中戦争は日本政府の外交的決定というより、関東軍現地部隊の暴走に日本政府が引きずられた感があります(そういう意味で、「職業軍人は国家意思決定に従って行動する役人だから開戦の責任は無い」とは言い切れないところがあります)。
この構図ですと、仮に誤解なく互いのホンネを理解していたとしても、米&中vs日の対立路線は避けられないように思います。米と中のホンネは微妙に食い違っていますが、とりあえず当面は日が米中共通の敵という点では利害が一致しますから…。
この対立構図を解決すべく、日本帝国は親日の汪兆銘傀儡政権をでっちあげ「蒋介石を相手とせず」声明を出すことで蒋介石を「なかったこと」にしようとしますが、そんな観念論みたいな方法で根深い対立が解決されるはずがなかったと考えます。
リットン報告、国連決議、ハルノートなど何処かの段階で日本が中国から手を引いていれば、いずれは米中のホンネの違いが露呈していたであろうとは思われますが、それがどんな形に発露したのか、そこに日本はどのような形で関わったのか、それが史実よりも「よい歴史」になり得たかについてはあまりに想像の飛躍しすぎるところです。
|
|
|