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真珠湾攻撃から太平洋戦争にまで話が広がってしまっているので新たに建てました。
太平洋戦争に至るまでの道のりを遡れば
太平洋戦争→資源獲得→対日禁輸→日中戦争
となるように、結局は日中戦争に端を発するように思えます。その日中戦争すらも満州事変まで遡る必要があります。しかし、ナチス・ドイツの躍進、ノモンハン事件の影響なども考えると日米の決定的な対立はやはり第二次上海事変以降になると私は思います。
日中関係→盧溝橋事件と第二次上海事変での「国民党軍の先制攻撃」、日本人殺害事件に端を発する「嫌中感情」、国民党の腐敗・軍閥の割拠などに見る「崩壊した再起不能の中国」、独裁者たる蒋介石
日米関係→中国問題への解釈の違い「自衛か侵略」、南京事件(真偽は不明だがアメリカでは元在中宣教師の宣伝が行われ認知されていた)・パネイ号事件、両国の不信感「黄禍論のアメリカ」「田中上奏文の日本」
米中関係→「クリスチャン」の蒋介石・宋一族のアメリカへの接近、ルーズベルトの親中路線、アジアにおける「最大の民主主義の砦中国」
このように三国ともお互いに誤解し合っていました。
上記の例の「真実」がどうあれ、その時代では人々はそれを「真実」だと思い、その前提のもとで政策決定や戦略立案がなされました。中にはそれを考慮に入れず「それは全部こうだったから結果的には誤りで意味はない」という方もいるでしょう。はたして、日米中はお互いの誤解を解いて和解することはできたのか。もしくはお互いを誤解したままでもなんとか不戦の状態を保つことができたのか。
皆さんはどう思いますか?
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