|
片様、他皆様
その後、「戸川不二男」単独で再度検索したところ、
大阪時事新報 昭和12.5.6の記事を見つけました。
新聞記事文庫 : 大阪時事新報 1937.5.6(神戸大図書館による)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00323524&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null
私の疑問の一つが、日本国際航空が生産していたラチエの
プロペラは、いつから、日本航空工業時代から導入されて
いたのかでしたが、紹介文中に
>フランス・ラケエー会社のプロペラ製造特許権買収も成って
とあり、当初から製造権を入手していたことを知りました。
残る疑問は、
1)海軍主導を嫌って川西を飛び出した坂東氏らに、軍への依存(莫大な軍需と最先端技術の提供)なしに、部品ではなくフルラインナップの機体メーカーになれる成算を本当に持っていたのでしょうか?
2)ラチエのプロペラは、海軍主導による住友金属−ハミルトンのデファクトスタンダードを嫌う陸軍によって促進されたとされていますが、日本航空工業は、それを含みで当初から陸軍の支援を受けていたのでしょうか?
3)日本国際航空のその後を鑑みても、当時の日本で軍需や行政の支援に拠らない純粋な民間航空が成立する余地が有り得たのでしょうか?
4)坂東、関口、戸川三氏の日本国際航空での地位や、戦後の消息がわかりません。財閥の家系の川西龍二などはともかく、さしたる後ろ盾がない彼らの数奇な人生の結末が気になります。
皆様のご教示を頂ければ幸甚です。
NG151/20拝
|
|
|