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要求仕様だけを見ていても1930年代の米戦闘機開発はなかなか全体像がつかめません。技術的な側面から眺めるとどうにも辻褄が合わなくなるからです。
米陸軍航空隊が1935年〜1939年にかけて、最も期待を寄せた試作計画はXFM-1という万能双発戦闘機です。
まだ予算の苦しい時期にこのような双発機計画が採り上げられるのは双発万能戦闘機を装備すれば機種削減に繋がり、部隊の任務を多用途に設定できるからで、双発戦闘機は本来、財政事情の苦しい空軍にとっての救世主的存在だからです。
「万能双発戦闘機はエンジンの無駄ではなくむしろ経済的なメリットがあった」という点は双発戦闘機計画一般を考える時にとても重要です。
そしてこの時期、停滞している戦闘機開発を一挙に躍進させ得る高性能エンジンとしてターボ過給器装備のアリソンV-1710の完成見込が立ちます。その完成見込によって陸軍は次期戦闘機に高度6000mで時速500km/h以上という性能を求めるようになって来ます。ささきさんが紹介している「1936/5 米陸軍で新戦闘機の検討開始。最高速度325mph/20000ft, 275mph/Sea Level, 航続力 1 時間/20000ft, 上昇力 5 分 / 20000ft, 離着陸距離 1500ft。」とは新エンジンの完成見込によって生まれた仕様です。
けれども1937年度までの米陸軍航空隊は爆撃機重点主義、戦闘機無用論が主流でしたから、6000m以上の高高度で侵入できる爆撃機は戦闘機に妨害されない、という考えを持っています。
こうした考え方をベースにV-1710からのターボ過給器取り外しという動きが現れて来ます。P-39からターボ過給器が外され、理想主義的なP-37からP-40への移行といった「退化」が始まります。新機軸の導入リスクを避け、調達を早めるという技術メリットがあり、従来の米陸軍航空隊の発想にも適合していたからです。そして機体製造会社にとっても、欧州諸国の再軍備で急増した需要に早く応えられるという経営的メリット(特にベル社は経営面で窮状にあり手早く売れる商品が絶対に必要な状況にあります)が存在しましたから、P-38のような高性能機の試作が進む一方で、低高度戦闘機の計画はそのまま進んで行くことになります。
そこで見逃せないのが米陸軍航空隊は1938年に大きな変化を迎えていることです。
司令官にハップ アーノルドが選ばれ、陸軍参謀総長となったマーシャルがアーノルドを支持し、再選後の緊縮財政転換をルーズベルト大統領が軌道修正したからです。
人事面の刷新と財政状況の好転は当然、陸軍戦闘機の開発に変化をもたらします。
それまで民間の速度記録機に大きく水をあけられ、大陸横断飛行でもヒューズH-1に先行されていた状況を打破して、先進的高性能機を陸軍でも積極的に開発するような流れが1938年度から顕著になり、陸軍の要求仕様以上の要素を盛り込んだP-38は他の試作機よりも高価で複雑でリスクを伴う計画でしたが、H-1に対抗する大陸横断高速飛行を成し遂げたことで陸軍航空隊の面目をほどこして、アーノルドの絶対的な支持を獲得します。P-38はこうした点で盤石の基盤を獲得していたと言えます。
人と金の事情が変わったので物がついて来たということです。
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