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> いいえ、フィリピンに手を出す必要はありません。
> 米国の権益の及ぶところは回避すべきです。
> フィリピンにはさしたる資源も市場もない。
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フィリピンは南方と台湾・沖縄の間に突き出たナイフも同然です。満州問題での警告、日中戦争での国民党への肩入れ、仏印進駐への制裁、フライング・タイガースの派遣を行ったアメリカは、極東に関わりたがらない孤独な大国には見えません。当時の日本から見れば、いつ手を出してくるかわかったものではないと感じたことでしょう。この状態ではフィリピンの戦略的価値を無視することは不可能です。フィリピンを無視することはリスクが大きすぎました(もっとも対米戦が最大のリスクでしたが)。
> > 対独二正面になりえません。なぜなら日本軍は半人前で1.5正面になるからと考えられていたからです。
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> それは、ちと大げさな気がしますが。
> 半人前だったのは事実ですけれど。
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アメリカ軍の伝統です。朝鮮戦争での北朝鮮軍、ベトナム戦争での北ベトナム軍のように最初は相手をよく調べずに手痛い失敗をし、そこから敵の実力を認識するのです。太平洋戦争初戦の敗北はアメリカの慢心が大きな理由だと私は思います。
> > アメリカは満州→中国→仏印への進出から東南アジアの欧米植民地が次の目標であると考えていました。南シナ海に面するフィリピンを日本軍が素通りするのをアメリカは黙ってみているのでしょうか。
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> 黙ってみていたかもしれません。
> オランダもフランスもポーランドもベルギーだってあっさりと見捨てられたのですから。
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経験不足で数個師団しかない陸軍、経験不足で旧式の航空機も多かった陸軍航空隊、まあ海軍はルーズベルトの軍艦好きでマシでしたが、アメリカは準備不足でした。アメリカが初期の段階で参戦しなかったのは、誤解されがちなイギリスのチェンバレンの宥和外交の二の舞ではなく、ミュンヘン会談時のイギリスと同じように圧倒的に戦力と軍事費が不足していたからです。ポーランド侵攻以降の連合国の腰の重さは優柔不断の産物ではなく、ドイツの電撃戦に対応することができなかったからです。アメリカの中西部が無関心であろうが、東部エスタブリッシュメントが幅を利かせるアメリカ議会と政府の前では無意味です。対中支援は可決され、レンドリースも始まるのは時間の問題だったのです。
> 東南アジアなどという、地球の東の果ての田舎で、黄色いサルが少々暴れたからといって、何ほどのこともないでしょう。
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血と金を費やした東の果てです。アジア植民地のインフラや工業への投資、国民党の法幣のための銀の提供などが無駄になってしまいます。それにその「黄色い猿」は「世界征服を企む(田中上層文)」、「冷酷で無慈悲(南京事件、パネイ号事件)」な「全体主義国家(天皇制」だとアメリカは考えていました。北朝鮮が韓国へ、北ベトナムが南ベトナムへ侵攻した時、それはナショナリズムの要素(祖国統一)がもっぱらでしたが、アメリカはイデオロギー(共産主義)だと考えていました。同様に日本の侵攻も「自衛・生存圏」ではなく、「帝国主義」によるものだと考えていました。日本の行動は自分の想像を遥かに越える影響・イメージを相手に与えていた当時の情勢を鑑みる必要があります。
> > 対独戦ごときで中国を指を加えて失うのを見ているわけにはいかないのです
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> いえいえ、蒋介石が大事にされたのは、あれが日本軍が大陸に大兵力を置く理由になっていたからです。
> 友邦たるイギリスはドイツ軍の本土上陸におびえていて、中国なんてどうでもよかった。
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イギリスはそうですが、アメリカはそうではありません。アメリカは蒋介石こそがクリスチャンの愛国者で中国を統一し、アジアに第二のアメリカを建設すると考えていたからです。
> > その戦艦を造る金は誰が出すのか。
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> アメリカは第一次大戦の結果、世界最大の債権国になっていました。
> 世界一の金持ちでした。
> 大戦中に13隻の戦艦を進水させています。
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それでも戦争後半の戦時国債は危うい状況でした。1944年にノルマンディー上陸や硫黄島の星条旗の前までは目に見える勝利のイメージを国民に見せることは難しかったのです(もっとも今の視点では大勢は決していたように見えるかもしれません)。
> 攻撃の優位を全面に押し出して、初戦で一気に圧倒すれば出血を嫌うアメリカ国民は対日戦への意欲を失うはずでした。
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> でも、そんなことになるわけないと、大井篤などが考えていたので。
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それは各国も同じです。ドイツはロンドンへの戦略爆撃がイギリスの戦意を挫くと考え、皮肉にもその後にイギリスは戦略爆撃がドイツの戦意を挫くと考えたように。アメリカが真珠湾攻撃で戦意を高揚させたのに、日本本土への戦略爆撃が日本人の戦意を挫くと考えたように(もっとも日本への戦略爆撃は産業・インフラへの効果を狙っていましたが)
> >国力はアメリカが勝っていても戦争継続力は日本に優位があるのです。
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> 1943年、日本は開戦時の船腹600万トンの半分を失っていて、生産が破綻していました。
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それは第一段階作戦終了後に拡大戦略を取った結果、ただでさえ軽視され金も物資も不足していた海上護衛が完全に破綻した結果でしかありません。国民はひたすら従順に徴兵され、軍需産業のために働き、物資を供出して節約していました。もっともそれはアメリカも同じでしたが、日本は日本人の方が精神的に長期戦争に耐えうると考えていました。ボーナスアーミーの反乱などに見るように、アメリカ人は必ず不平不満を政府にぶつけると(もっともそれは妄想でしかなかったが)。
> > 珊瑚海では敵空母二隻、ミッドウェイで敵空母二隻を撃破し(戦果誤認)、アメリカも日本同様に大きな損害を受けているはずでした。この調子で戦えば、アメリカはどこかで出血多量から戦争への意欲を失うと考えられていました。
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> 米国はエセックス級空母だけで24隻も進水させていた。
> 補助空母にいたっては一週間に1隻のペースでつくられていましたし。
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日本軍の(誤認)戦果ではアメリカ艦艇は数十隻撃沈し、航空機を数千機撃墜していました。アメリカ軍は大出血し、アメリカはこれ以上の被害を出したくないと考えて、どこかで講和するはずでした。そして、日本軍は艦船を失うにつれて、航空攻撃へとシフトしていきます。マリアナ、レイテ、台湾沖の通りです。いずれも大戦果をあげ(誤認)、アメリカの戦意を挫いたと考えられていました。アメリカが物質的には圧倒していても国民や政府は戦争継続を躊躇すると。もっともそれが現実になるのは硫黄島と沖縄が終わってからで、その時は日本は死に体となり、ソ連とアメリカのどちらに負けるのかという状態になっていましたけれども。
> > ノーと言えるようになった大日本帝国は頭を下げることはできません。
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> ノーと言ったために、あれほどコテンパンにやられてしまった。
> 土下座しなきゃいけない場面でしたね。
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1923年から対米戦を想定していた国には無理でしょう。また土下座したところで、アメリカが許してくれるかわかりません。土下座するには巨大なり過ぎた、勝ち過ぎたと言ったところでしょう。その辺りは今の中国と似たようなところでしょう。欧米不信と愛国のなせる業です。
> > アメリカと戦ってはいけないのは誰もが知っていることです。
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> それなのに、戦争を始めてしまったのだから、単なる阿呆でしょう。
やはり日清戦争、日露戦争の経験と大日本帝国の歴史の浅さ(国際社会での経験不足)、軍部の台頭などの複雑な問題が絡んできます。
先を見通すことはいつの時代も難しいことです。
ジョージ・ケナンは中ソの対立と離反を予測し、いずれ米中はなんらかの形で接近すると1950年代に予測しました。ケナンは赤狩りの餌食にされ表舞台から消えましたが、後年には中ソは離反して、レーガンの訪中と国交改善がなされます。予言者いつの世も不遇なものです。
まあ、歴史を振り返れば阿呆ばかりです。シャーマン戦車の装甲が不安だったアメリカ兵は土嚢を積み上げました。タイガー戦車の88ミリの前では無意味です。それは阿呆と呼ぶのは誰にでもできます。しかし、なぜそうなったのか、何が人々を駆り立てたのか、人々はどう予想して実際にどうなったのか、当時どうしてそうしたのかを考えてみることの方が私は好きです。また答えは一つではありません。
同様に日本が戦争に至るまでの道のりからその結果までは限りない要因があります。それについて一言阿呆で終わらせるのも悪くありませんし、結果論でもその人がそれでいいならそれでよいでしょう。ただ、それだけではこのwarbirdで議論する醍醐味に欠けるのではと私は思います。
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