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> フィリピンは南方と台湾・沖縄の間に突き出たナイフも同然です。満州問題での警告、日中戦争での国民党への肩入れ、仏印進駐への制裁、フライング・タイガースの派遣を行ったアメリカ
アメリカは1942年にフィリピンをコモンウエルスとして独立させるつもりであって、さして重要さはない。
重要だと勘違いしたのは日本でしょう。
それに、アメリカは中国大陸には陸上兵力を全く送らなかった。
> アメリカ軍の伝統です。朝鮮戦争での北朝鮮軍、ベトナム戦争での北ベトナム軍のように最初は相手をよく調べずに手痛い失敗をし、
過去の例を「伝統」で説明するのは、不可能でしょう。
自己言及になってしまう。
> 経験不足で数個師団しかない陸軍、経験不足で旧式の航空機も多かった陸軍航空隊、まあ海軍はルーズベルトの軍艦好きでマシでしたが、アメリカは準備不足でした。アメリカが初期の段階で参戦しなかったのは、誤解されがちなイギリスのチェンバレンの宥和外交の二の舞ではなく、ミュンヘン会談時のイギリスと同じように圧倒的に戦力と軍事費が不足していたからです
いえ、それは完全に間違い。
世界恐慌のあとで、アメリカは軍事費を大幅に増やしている。
軍事ケインズ主義だったのですね。
> 血と金を費やした東の果てです。アジア植民地のインフラや工業への投資、国民党の法幣のための銀の提供などが無駄になってしまいます。
アメリカはアジアの「植民地」には、ほとんど投資していませんよ。
だいいち、植民地主義と帝国主義は区別しなければならない。
アメリカは、アジアには「植民」していません。
> イギリスはそうですが、アメリカはそうではありません。アメリカは蒋介石こそがクリスチャンの愛国者で中国を統一し、アジアに第二のアメリカを建設すると考えていたからです。
そんな珍説は初めてですね。
アメリカが中国に与えたのは物資と成都のB-29基地だけで、陸兵は送らなかった。
蒋介石が参ってしまえば、大陸の百万の日本軍が太平洋戦線に投入される。
それがこわかっただけですよ。
> それでも戦争後半の戦時国債は危うい状況でした。
まったく違いますね。
第一次大戦中に膨れ上がった生産設備と貨幣を動かすのに、戦時国債は最良の手段だった。
> > >国力はアメリカが勝っていても戦争継続力は日本に優位があるのです。
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> > 1943年、日本は開戦時の船腹600万トンの半分を失っていて、生産が破綻していました。
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> それは第一段階作戦終了後に拡大戦略を取った結果、ただでさえ軽視され金も物資も不足していた海上護衛が完全に破綻した結果でしかありません。
海上護衛が破綻したのではなく、海上護衛をやるおカネがそもそもなかったのが
原因ですよ。
作戦の巧拙で説明できることではない。
>日本は日本人の方が精神的に長期戦争に耐えうると考えていました。
それは、まちがっていたわけでしょう?
そもそも、「精神的に長期戦争に耐え」たってあまり意味は無い。
資金と原材料と労働力が尽きれば、何もできないのだから。
> > > 珊瑚海では敵空母二隻、ミッドウェイで敵空母二隻を撃破し(戦果誤認)、アメリカも日本同様に大きな損害を受けているはずでした。この調子で戦えば、アメリカはどこかで出血多量から戦争への意欲を失うと考えられていました。
あの、「その当時はこう考えられていた」と何回も主張なさいますが、意味をなしませんよ。
それは誤りであったわけですから。
> > > ノーと言えるようになった大日本帝国は頭を下げることはできません。
> >
> > ノーと言ったために、あれほどコテンパンにやられてしまった。
> > 土下座しなきゃいけない場面でしたね。
> >
> 1923年から対米戦を想定していた国には無理でしょう。また土下座したところで、アメリカが許してくれるかわかりません。土下座するには巨大なり過ぎた、勝ち過ぎたと言ったところでしょう。その辺りは今の中国と似たようなところでしょう。欧米不信と愛国のなせる業です。
どの国の軍隊も、仮想敵をつくって予算を獲得しなければいけない。
日本海軍も一例にすぎない。
土下座の結果がどうなるかは不明だが、開戦すれば負けるのは確実なのだから、
土下座すべきだった。
開戦はあきらかに誤りだった。
> やはり日清戦争、日露戦争の経験と大日本帝国の歴史の浅さ(国際社会での経験不足)、軍部の台頭などの複雑な問題が絡んできます。
複雑だからわからないのだ、と座りこんでしまうと、
何も言えなくなりますよ。
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> 先を見通すことはいつの時代も難しいことです。
> ジョージ・ケナンは中ソの対立と離反を予測し、いずれ米中はなんらかの形で接近すると1950年代に予測しました。ケナンは赤狩りの餌食にされ表舞台から消えましたが、後年には中ソは離反して、レーガンの訪中と国交改善がなされます。予言者いつの世も不遇なものです。
ジョージ・ケナンの予測は間違っていたけれど、同様に日本政府だって間違っていた。
ジョージ・ケナンも日本政府も、非難に値しますね。
> まあ、歴史を振り返れば阿呆ばかりです。シャーン戦車の装甲が不安だったアメリカ兵は土嚢を積み上げました。タイガー戦車の88ミリの前では無意味です。
シャーマン戦車についていうなら、土嚢は無効ではありませんよ。
弾丸のエネルギーを失わせるのに有用です。
弾丸は装甲を貫通したあと、車内を跳弾となって飛び回りますが、そのエネルギーは確実に減少する。
何もしなかった日本戦車の方がむしろ例外。
それは阿呆と呼ぶのは誰にでもできます。しかし、なぜそうなったのか、何が人々を駆り立てたのか、人々はどう予想して実際にどうなったのか、当時どうしてそうしたのかを考えてみることの方が私は好きです。また答えは一つではありません。
> 同様に日本が戦争に至るまでの道のりからその結果までは限りない要因があります。それについて一言阿呆で終わらせるのも悪くありませんし、結果論でもその人がそれでいいならそれでよいでしょう。ただ、それだけではこのwarbirdで議論する醍醐味に欠けるのではと私は思います。
その手の、「昔の人も悩んでいたんだなあ、同じだよなあ」という、
怠惰な感傷にもぐりこんでしまうのが、一番キケンだといいたい。
開戦の決定は絶対に間違いだった。
死ななくてもいい人がたくさん死んでしまった。
その責任は追求されねばならない。
あの戦争を、天災のような不可避のできごとだと思う人がいて、
「陛下は我々と辛苦を共にされた」
などと、いう。
ポツダム宣言を受諾するのに、国体は保持されるのか否か、官僚が脳天気に議論しているあいだ、家を焼かれ肉親を失った人がたくさんいたのです。
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