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> > 当時の中国大陸にはさしたる資源も無いし、貧しい農村が多くて市場としての価値もない。
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> 産業の根幹である日本の製鉄業は八幡製鉄所開設以来、中国の鉄鉱石と強粘結炭に大きく依存し、これが無ければなければ日本の製鉄業は成立しえないものでした。また、戦前、市場としての中国は日本にとって非常に大事なものでした。大戦前、ナチスドイツが日本と中国を両天秤にかけたのもそれだけ、中国の資源と市場が貴重だったからです。そもそもじゃまさんの議論は前提が間違っているのですから、幾ら議論しても話がかみ合いません。
姫 さま
レスありがとうございます。
>市場としての中国は日本にとって非常に大事なものでした
市場として価値を認めるなら、まさにドイツが検討したように、対中宥和を図るほうが、容易だったように思うのですよ。
三池、高島の炭鉱からは、イギリス炭の次ぐらいに上質な石炭が出ていた。
このあたりで、姫 さまのご意見があるのですね。
製鉄のことは、大治鉄山、萍郷炭鉱のことをおっしゃっているかと思います。
それで、
>武漢三鎮攻略以後は、戦略目標も無くなってしまった
と考えた次第であります。
もともと、大治鉄山は、1904年以来、日本からの借款で運営できていたので、安価な鉄鉱石の提供を義務付けられた結果、漢陽製鉄所は経営破綻している。
既に日本の思い通りになっていたのではないでしょうか。
「ピストン作戦」と称する牽制作戦を繰り返して消耗を続けたり、
四十万の大軍を投入して大陸打通作戦を試みるとか、
南方の苦戦のさなか、ずいぶん余裕があるものだという感じがします。
レイテ決戦の真っ最中に参謀長以下東京に飛来して重慶進撃を上申するとか、
そのあたりがわかりません。
重慶は日本軍の根拠地たる漢口から700キロも離れていて、地上軍の進撃がおぼつかないから空襲をやっていたわけで、またそれを持ち出している。
支那派遣軍と南方軍という、ふたつの外地軍の勢力争いのように思うのですが、
いかがでしょうか。
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