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> > 全部海軍機ベースで良
> > いのではないでしょうか。
>
>
> 四式戦なしで雷電とその性能向上型のみで戦え、ということになってしまうのですが。
> ぞっとしません。
全くもって仮定の話なので、細かい機種についてはなんとも言えません。
また例えばフィリピンなどで実働していた四式戦が52型を実際の空戦ではるかに凌駕していたかは大いに疑問です。さらに、陸海共同開発・改良すれば史実より良い
ものができるとは誰しも期待するところでしょう。
ちなみに私が受け売りしたのは下記です。
*********以下全文引用します。
■題名 : 海軍航空式独立空軍の使用機材は海軍式
■名前 : 片
■日付 : 06/9/1(金) 4:25
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現実に、おっしゃるような観点にほぼ近い理由を述べて空軍と空軍省設立の提案は行われています。この提案は陸海軍航空の有志将校によってなされましたが、海軍の大部はこれに批判的でした。
なぜか。
一連の軍縮条約以降、海軍は航空主兵にすでに転換しつつあったからです。予想される米海軍との戦いで、航空兵力は絶対的に必要なものになっていました。大艦巨砲主義なんて、すでに八八艦隊を亡き者にした軍縮条約で否定されていたのでした。
もし、仮に、こうした趨勢を背景にした上で、空軍設立が果たし得たとしたら、それは海軍航空隊に陸軍航空隊を吸収した形のものになったでしょう。搭乗員には洋上航法の訓練が徹底され、使用機材は洋上決戦に適した機体である、というように。
先にあげた史実の空軍設立提案でも同じようなことが述べられています。海軍作戦で使用できる機材/人員ならば、陸軍作戦にも十分兼用できるだろう、と。(その逆は無理です)
したがって、設立可能な独立空軍の使用機材は、史実の海軍航空の使用機材の特徴を有することになったことでしょう。その主な特徴とは、長大な航続力です。
Ans.Qで一式陸攻の大きさが指摘されていましたが、海軍の双発陸攻は翼幅25m、陸軍重爆は20m程度が標準でした。この差は、主として要求される航続力によります。
>海軍が無茶な要求をメーカーにして余計に航空開発に遅延をもたらした考える
とおっしゃいますが、海軍機の機体設計者にとって何が負担だったかといえば、搭載量の多さでした。長大な航続力を実現するための燃料容積です。
しかし、独立空軍の使用機材にもこれらの特徴は受け継がれなくてはなりません。
>B29クラスの大型爆撃に国をあげて開発着手して連山誕生がもう少し早まったんじゃないでしょうか
これも、洋上決戦用の四発大攻ということになります。それを陸軍航空的な純正空軍的用法にも兼用しようという形に。
これは史実とまったく変わりません。海軍は最初の四発大攻として深山を試作し、これを陸軍でもキ85超重爆として採用しようとしていました。陸軍は、超重爆の開発を海軍に依存していたのです。そして、海軍はその開発をアメリカで始めて登場した四発旅客機の機体設計に依存していました。昭和10年代の前半において四発攻・爆撃機の試作能力は、国を挙げてもそのような水準でした。こうしたステップを踏んだ上での連山ですから、その出現は大して早まることはなかったでしょう。
史実では、最終的に陸軍航空も雷撃機を装備する必要性に迫られ、海軍の天山の使用を考え、四式重爆を雷撃機に改造し、搭乗員の航法教育を海軍に委託しています。
もっと以前に空軍が設立されていたとしたら、四式重爆は誕生していません。
一式陸攻とその後継機泰山を使うことを考えるしかなかったでしょうが、泰山は、用兵上の搭載量要求が当時の日本の工業技術だけでは実現できず、ドイツの工作機械に頼ろうとして独ソ戦のためにこれが駄目になったという機体です。
例え独立空軍が誕生していたとしても、日本の航空機技術が根本のところで米・独など海外に依存していたという現実にはなんら代わりがなく、しかし、開発される機体のすべてに、海軍的な要求が課せられることになっていたはずなのです。
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