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長門様
>(当時の上層部でも航空機の方が強いという提督は当然いた。実際演習をした時も戦艦は航空機、潜水艦に苦戦していたので)
当時湾内に居なかった空母は仕方がないとして、脅威として既に認識されていたはずの米国海軍潜水艦部隊に対しても、南雲艦隊は、指一本ふれていないのが不思議でたまりません。
当時湾内に停泊していた4隻の潜水艦も潜水母艦Peliasも全く無傷で、オイル・バージも残っており、もちろん外にいた5隻の潜水艦も無傷でもどってきました。真珠湾の潜水艦基地自体にも、1発の爆弾も落とされず、大量の魚雷や磁気信管の保管庫も無傷でした。また、不可解(米国海軍軍人曰く)にも、真珠湾の燃料庫には、1億4千万ガロンのディーゼル燃料が無傷で残っていたのはご指摘のとおりです。
米国海軍作戦部長の出した、日本に対する無制限潜水艦戦の実施命令が、はや攻撃の6時間後に真珠湾に届き、緊急調査の結果、真珠湾の9隻の内の7隻の潜水艦が2〜3日以内に出撃できることが判明し、同年12月11日には、公式にはまだ慣熟訓練中のガジョン (SS-211)が九州沿岸まで出撃し、伊号第七三潜水艦の撃沈などの戦果を挙げています。その後の帝国海軍のお粗末なASWをあざけるような米国潜水艦部隊の活躍(?)は、ご存じのとおりです。
もしも、開戦当初から、米国潜水艦の魚雷(特に信管)がまともに働いていたと仮定すると、その後の戦局は、ミッドウェーを待たずに、恐ろしいことになっていたのではなかと想像せざるを得ません。
なおかつ、あれほどナチの対英無制限潜水艦戦に反対していた米国海軍や米国民のなかから、日本に対する即時無制限潜水艦戦の発令に対しては、何のクレームも出ませんでした。日本からの事前の宣戦布告の有無に関わらず、武力をもって当時の米国を厭戦気分にさせることなど、全く不可能だったことは、米国留学経験者などには自明のことだったと言わざるを得ません。
自分にろくなASWの能力もないくせに、真珠湾の潜水艦部隊を全くの無傷で残したのは、とんでもない大失態だと判断せざるをえません。
開戦前の真珠湾の米国潜水艦部隊に対する攻撃計画などにつき、ご教授いただければ幸いに存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
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