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> 1930年代の戦闘機無用論。
> 1940年後半の空母無用論。
> 1950〜1960のミサイル万能論による機銃不要論。
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> 理論的には間違えてはいなかったが現実はうまくいきませんでした。時代に早すぎた失敗です。
> 戦車不要論もいつか実現するとおもいますが、現行では上記不要論の二の舞、三の舞になる恐れが多々あります。 現行の戦車の、「削減はするが開発・生産は継続する」を日本式玉虫色決定の悪しき一例ではないか、言うのはというのは少し言葉が過ぎると思います。
湾岸戦争のとき、イラク側は自軍のT-72をダック・インさせて抵抗した。
おそらく、司令官は米軍のM-1には到底かなわないことを知っていて、そうして全滅したのでしょう。
イラクがそれまでT-72を購入し搭乗員を育成したのはほとんど無駄だったわけです。
WW2の日本も貴重な資源と人材を投入して米英には無効な戦車を製作して南方に送り続けた。
それと似たようなことにならないかと。
現代はさらにまずくなっていて、自主生産するならハイテク戦車にしないと予算を認めてもらえないでしょう。
でも多額の開発費をつぎこんでハイテク戦車をつくっても、その投資を回収できる見込みがない。
少ししか作らないから、一両あたりの値段がすごく高くついてしまうでしょう。
なんのための戦車か、わからなくなってしまう。
フランスやロシアのように積極的に輸出して商売にすることができない。
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