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明けましておめでとうございます。
> ところが、2.そもそも高高度爆撃がそう無かったので、つぎ込んだリソースが台無しになってしまった大失敗ではないかと思います。
> だいたい、高高度爆撃なんてヨーロッパではほとんど無かったし、日本へも効果が無いからやめてしまった。
英国のウェストランド・ウェルキン、ドイツのBv.155、アメリカのカーチスXP-62など、与圧キャビンまで備えた「高高度専用迎撃機」は開発が難航したり、出来てみたら性能がイマイチだったり、既存戦闘機の高高度対応型のほうが実用的と判断されたりして結果的に失敗作として終わっていますね。
何故そうなったのかという経緯は三者三様だと思いますが、大雑把に見ると「高々度迎撃戦に必要そうなもの」をアレコレと片っ端から詰め込んだ結果、機構の複雑化・重量オーバー・性能不足に陥ったように思えます。
とはいえ、10000mを超えるほどの高高度爆撃が殆ど無かったというのは結果論として知っているから言えることで、二次大戦前から技術的に可能だと判っていたことに対し、軍としてその対応策を何も打たないわけにはゆかないのではないでしょうか?
「想定した脅威が実際には使われなかったから無駄だった」というなら、世界各国で毒ガス戦を想定して生産されたガスマスクや解毒剤も「リソースの無駄」で「大失敗」という事になってしまいますよね。実戦で使われずじまいだった弾薬の備蓄も無駄?爆撃を受けなかった町に掘られた防空壕も無駄?戦争というのは結局、壮大に無駄な浪費なのではないでしょうか。そのなかで失敗した試作兵器の一部を取り上げて「無駄」と言われても、私には「なんだかなぁ」と思えます。
「試作された高高度専用戦闘機の多くがへっぽこ飛行機になってしまった」という経緯と、「そもそも専用機が必要なほどの高高度迎撃戦の機会は少なかった」という経緯は分けて考えたほうが良いのではないかと思います。
> そして、昔も誤解されていたし、今も誤解されていますが、排気タービン過給器が問題なのではない。
少なくとも私の世代(1970年代の小学生)は、松本零士氏の漫画で「排気タービンがないからあの高度に上がれない」と切歯扼腕する描写があったことから「高々度=排気タービン」という先入観を植え込まれたと思いますが、果たして「今も誤解されている」のでしょうか。切り抜きだらけの堀越二郎著「零戦」を図書館で借りて何度も読み返していたような私の時代とくらべて、キーワードさえ適切に検索すればターボの断面図やらP-38の吸排気系配管図まで簡単に出てくるような時代になっていますが…。
http://www.enginehistory.org/TM/htm/TMV1N2.shtml
> 過給するのにはクランク軸で回しても排気タービンで回してもどちらでも良い。
> 日本で排気タービンのためにニッケルを節約したのはまったくの無駄で、三式戦のエンジンに使ったほうがよっぽど良かった。
これも結果論に偏った断定ではないかと思います。無駄というなら、外地の前線で片っ端から故障して「戦力にならない」と嘆かれる三式戦を「史実より多く増産する」ことだって無駄かもしれません。それよりも一式戦車を早く量産して配備したほうが…それもどうせ孤島で包囲殲滅される運命は同じだから無駄?!虚しいですね、こういう「議論」は。
逆に「もし米英が10000mを超える高高度からの爆撃を常道化していたら、日独はどうやって対抗したと考えられるか?」といった議論のほうが少しは盛り上がるのではないか、と思いますよ。
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