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開戦と日米中の三角関係 ダッチ・カイザー 14/6/8(日) 10:36
┣ 一致しない利害 ささき 14/6/9(月) 6:32
┃┣ 公共事業としての戦争 じゃま 14/6/11(水) 18:01
┃┃┣ 適当なことを言っちゃ駄目よ BUN 14/6/11(水) 18:56
┃┃┣ 適当な事を云っちゃダメよ 14/6/14(土) 13:47
┃┃┃┗ 武漢三鎮 じゃま 14/6/14(土) 16:59
┃┃┣ 目的と手段と結果 ささき 14/6/15(日) 5:30
┃┃┗ 公共事業としての戦争は成り立たない おうる 14/6/15(日) 13:32
┃┗ 一致する利害は存在するが追求することは許されない おうる 14/6/13(金) 23:55
┃┗ 長文ありがとうございます ささき 14/6/14(土) 4:48
┗ 戦争に至るまでの道のり ダッチ・カイザー 14/6/15(日) 17:18

開戦と日米中の三角関係
 ダッチ・カイザー  - 14/6/8(日) 10:36 -
  
真珠湾攻撃から太平洋戦争にまで話が広がってしまっているので新たに建てました。

太平洋戦争に至るまでの道のりを遡れば
太平洋戦争→資源獲得→対日禁輸→日中戦争
となるように、結局は日中戦争に端を発するように思えます。その日中戦争すらも満州事変まで遡る必要があります。しかし、ナチス・ドイツの躍進、ノモンハン事件の影響なども考えると日米の決定的な対立はやはり第二次上海事変以降になると私は思います。

日中関係→盧溝橋事件と第二次上海事変での「国民党軍の先制攻撃」、日本人殺害事件に端を発する「嫌中感情」、国民党の腐敗・軍閥の割拠などに見る「崩壊した再起不能の中国」、独裁者たる蒋介石
日米関係→中国問題への解釈の違い「自衛か侵略」、南京事件(真偽は不明だがアメリカでは元在中宣教師の宣伝が行われ認知されていた)・パネイ号事件、両国の不信感「黄禍論のアメリカ」「田中上奏文の日本」
米中関係→「クリスチャン」の蒋介石・宋一族のアメリカへの接近、ルーズベルトの親中路線、アジアにおける「最大の民主主義の砦中国」

このように三国ともお互いに誤解し合っていました。
上記の例の「真実」がどうあれ、その時代では人々はそれを「真実」だと思い、その前提のもとで政策決定や戦略立案がなされました。中にはそれを考慮に入れず「それは全部こうだったから結果的には誤りで意味はない」という方もいるでしょう。はたして、日米中はお互いの誤解を解いて和解することはできたのか。もしくはお互いを誤解したままでもなんとか不戦の状態を保つことができたのか。

皆さんはどう思いますか?
引用なし
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<Mozilla/5.0 (iPhone; CPU iPhone OS 7_1_1 like Mac OS X) AppleWebKit/537.51.2 (...@KD106160019013.ppp-bb.dion.ne.jp>

一致しない利害
 ささき  - 14/6/9(月) 6:32 -
  
> このように三国ともお互いに誤解し合っていました。
> 上記の例の「真実」がどうあれ、その時代では人々はそれを「真実」だと思い、その前提のもとで政策決定や戦略立案がなされました。中にはそれを考慮に入れず「それは全部こうだったから結果的には誤りで意味はない」という方もいるでしょう。はたして、日米中はお互いの誤解を解いて和解することはできたのか。もしくはお互いを誤解したままでもなんとか不戦の状態を保つことができたのか。

中国:外国の傀儡ではない、中国人による近代国家・中国を樹立したい。しかし「我こそは近代中国の礎なり」と自称する勢力が複数あったこと、その中には「中国人による中国」を歌いながらも便宜的に外国の勢力を借りた勢力(蒋介石の親米路線は露骨です)が多かったため、必ずしも一枚岩ではありません。

米国:中国に親米の安定政権を樹立し、新市場を開拓したい。この方針は日本のそれと真っ向から対立しますし、「中国人による・中国人のための近代国家中国」を掲げる中国の本音とも必ずしも整合はしません。ただし「日本帝国の侵略」は共通の敵であり、便宜的に米国を担いだ蒋介石の意向とも一次的には一致します。

日本:「日本の生命線」と内外に喧伝した満州の保全が日本帝国の命題ですが、満州保全のために中国へ武力侵攻する必然性はよくわかりません。親米派の蒋介石率いる国民党軍が北伐によって勢力を伸ばしつつあったことが満州の保全を脅かしたと感じられたのかも知れませんが、盧溝橋に端を発する日中戦争は日本政府の外交的決定というより、関東軍現地部隊の暴走に日本政府が引きずられた感があります(そういう意味で、「職業軍人は国家意思決定に従って行動する役人だから開戦の責任は無い」とは言い切れないところがあります)。

この構図ですと、仮に誤解なく互いのホンネを理解していたとしても、米&中vs日の対立路線は避けられないように思います。米と中のホンネは微妙に食い違っていますが、とりあえず当面は日が米中共通の敵という点では利害が一致しますから…。
この対立構図を解決すべく、日本帝国は親日の汪兆銘傀儡政権をでっちあげ「蒋介石を相手とせず」声明を出すことで蒋介石を「なかったこと」にしようとしますが、そんな観念論みたいな方法で根深い対立が解決されるはずがなかったと考えます。
リットン報告、国連決議、ハルノートなど何処かの段階で日本が中国から手を引いていれば、いずれは米中のホンネの違いが露呈していたであろうとは思われますが、それがどんな形に発露したのか、そこに日本はどのような形で関わったのか、それが史実よりも「よい歴史」になり得たかについてはあまりに想像の飛躍しすぎるところです。
引用なし
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<Mozilla/5.0 (Windows NT 5.1; rv:29.0) Gecko/20100101 Firefox/29.0@adsl-71-156-55-185.dsl.irvnca.sbcglobal.net>

公共事業としての戦争
 じゃま  - 14/6/11(水) 18:01 -
  
> 日本:「日本の生命線」と内外に喧伝した満州の保全が日本帝国の命題ですが、満州保全のために中国へ武力侵攻する必然性はよくわかりません

わたしも、どうして日本が大陸に大兵力を展開していたのか、わからないでいますし、人にも説明できません。
当時の中国大陸にはさしたる資源も無いし、貧しい農村が多くて市場としての価値もない。
そこに大兵力を送り、何度も包囲殲滅を試みるが殆ど失敗している。
武漢三鎮攻略以後は、戦略目標も無くなってしまった。
そこで大陸打通作戦などをはじめてしまう。

ので、仮説を提出してみます。
景気対策だったということです。

WW1で生産設備は猛烈に膨れ上がり、米国は膨大な利潤を得て、つかの間のゴールデン・トウェンティを謳歌できた。
しかしWW1が終結したあと、戦時需要は無くなってしまい、ビッグ・シュリンクが起こる。
生産能力は過剰、貨幣は過剰、労働力も過剰、資本も過剰、ということになってしまい、世界恐慌になってしまった。

それで、各国とも、軍拡に走ったんですね。
なんと、人民戦線のブルムでさえ、軍拡をやった。

その上で戦争をやれば、戦時需要ができて、全て解決できる。
WW2は必然だったかもしれない。

日本の場合、やや特殊なのは、食料を現地調達していたということです。
内地でも戦前から米が不足していて、仏印、中国、朝鮮から輸入していた。

おもしろいことに、どの国でも産業革命をやると、かならず人口が増えるんですよ。
農村の余剰労働力は都市に移動すればよいが、都市で労働需要が無ければ行きどころがなくなって、スラムができたりする。
日本も、その例にもれず。

だから、余剰労働力たる農家の次男坊、三男坊を大陸に送って自弁させていた、というのが支那派遣軍の実態だったのではないか。

ということで、ご意見ご批判をお願いします。
引用なし
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<Mozilla/5.0 (Windows NT 6.1; Trident/7.0; rv:11.0) like Gecko@aa20111001946f573a51.userreverse.dion.ne.jp>

適当なことを言っちゃ駄目よ
 BUN  - 14/6/11(水) 18:56 -
  
大陸の戦乱は何をもたらしたのかといえば、
日本からの輸出の途を閉ざしてしまったのです。

義和団の乱からずっと、大陸の動乱は日本の民間企業にとって
大きな脅威でしかありません。

ミリタリーファンに良く知られている愛知時計が
経営に行き詰まったのもその一例です。

適当に発言しちゃ駄目ですよ。
引用なし
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<Mozilla/5.0 (Windows NT 6.1; WOW64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko) Chr...@pppoe238.45.west.osaka.dcn.ne.jp>

一致する利害は存在するが追求することは許されない
 おうる  - 14/6/13(金) 23:55 -
  
> 日本:「日本の生命線」と内外に喧伝した満州の保全が日本帝国の命題ですが、満州保全のために中国へ武力侵攻する必然性はよくわかりません。

 言うまでもないことですが、もともと日本が満州を「生命線」としたのは、ソ連/ロシアからの圧力に対抗する必要からです。その原点に立ち返ってみれば、ソ連/ロシアからの圧力に対処しうる有効な手立てがあるのであれば、日本が満州保全に固執する理由はなくなります。
 であるならば、中国に安定政権が樹立し同盟(あるいはそれに準じた)関係を築けるならば、または米国の国力が対ソ防衛に加わるのであれば、日本は思い切って満州や朝鮮半島を放棄してしまっても構わないはずでした。
 日本・中国・米国の三者がかなり高度なレベルで利害を一致させる可能性はゼロではなかったと言えます。
 
 しかし、現実にはその可能性は限りなくゼロに近いものにならざるを得ませんでした。
 その理由はダッチ・カイザー氏の指摘するような誤解であり、払拭しきれないほど根深い相互不信にあったと言えます。

 中国はそもそも誰かから「信用」を得ることのできるような国内情勢ではありません。ただでさえ不安定なうえに、どの政権/軍閥も一枚岩ではなく、個人間の約束はできても国家間の約束ができるような環境だったとは言えません。
 それに西洋文明に対して否定的な感情が強く、同じアジアの国ながら西洋文明になびいた日本に対してもあまり良い感情を持っているとは言えません。中国人にとっては日本も米国も中国にちょっかいを出してくるよそ者でしかない。
 日本も米国もそのことはよく理解しています。というより、当時の列強諸国で中国を信用していた国なんかなかったと言って良いかもしれません。

 米国は伝統的にアジアへの経済進出を意図していて、その究極目標は中国市場にあったことは今更指摘するまでもありません。彼らが欲しいのはあくまでも市場であって植民地ではありませんでした。
 しかし、中国にとっても日本にとっても米国は欧州列強にとって代わろうとしている新興国にすぎず、米国の「野望」は容認しがたい(あるいは理解しがたい)ものでした。
 産業革命後の欧州列強は「未開」の国にまず鉄道を「プレゼント」し、鉄道を防備するという名目で軍隊を置き、そこから経済的・軍事的に影響力を強めてその国を支配し、植民地を広げてきたことを日本も中国も知っています。米国の経済活動は欧州の「鉄道」と違わないか、安易に信用するわけにはいきません。
 米国が当初の13州からどうやって今の領土を拡大するに至ったかもわかっていますし、事実無根の理由で米西戦争を引き起こした実績もあります。むしろ、信用する理由を探す方が難しいと言えます。

 日本はソ連/ロシアから守るためと言いながら、その領土的野心は疑いようのないものでした(少なくとも第三者の目にはそうとしか見えない)。
 日露戦争では米国はせっかく仲介の労をとったというのに、日本は満州の権益を独占しちっとも旨みをよこさない。
 WW1では火事場泥棒的に青島島のドイツが植民地支配していた地域をかすめ取る。
 ロシア革命に乗じてシベリアに出兵し、他国が撤兵した後も未練がましく居残り続ける。そして政府や天皇は「平和」や「戦線不拡大」を口にするのに、中国で何か事件が起こるたびに支配力を強化し、その支配地域を拡大し続ける。
 それどころか、溥儀を担ぎ出して満州国建国などという暴挙にでる。
 米国がせっかく中国市場への迂回輸出をしようと日本に自動車メーカーを進出させたのに、様々な理由で法規制や障壁を設けてその活動をどんどん締め付け、最終的に追い出してしまう。
 おまけに国際連盟から脱退し、三国同盟なんか結んでしまう。
 信用しろという方が無理でしょう。

 三者三様に互いを信用できなかった理由にも背景にも、それぞれ少なからず「仕方がなかった」と言える部分はあります。

 日本は勝ったとはいえ日露戦争は巨大な負債を残してしまいました。
 ロシアの満州への再進出を防ぐにも、日露戦争の負債を清算するためにも、満州の権益はわずかであっても手放すわけにはいきません。手放せば負債を清算する目途が全く立たなくなってしまいます。
 一度は跳ね除けたとはいえロシア/ソ連の力は強大であり、貧弱な日本の国力でソ連/ロシアに対抗し続けるには勝てるときに勝てるだけ勝っておく必要があります。
 また、横(中国)からちょっかいを出されたのでは、いざ第二次日露戦争が勃発した時にどんな障害になるかわかりませんから、中国の、せめて満州地域の安定は欠かせません。中国のどの政権も軍閥も不安定で信用しきれない以上、満州地域を安定させるためには日本が自前の力でどうにかするしかありません。
 地続きの大陸で「国境」が機能していない以上、外部の勢力がちょっかいを出して来れば専守防衛に努めたのではキリがなく、対抗上敵の活動拠点を攻撃するのが有効です。で、攻撃されるたびに敵の攻撃拠点となったであろう地域まで攻撃し、支配地域を拡大し・・・で泥沼一直線です。
 これはある部分までは「仕方なかった」と言えると思いますが、すべてを「仕方なかった」というのは確かに無理があります。
 日本が信用を失ったのも、仕方なかったとも自業自得とも言えるでしょう。

 中国の混迷ぶりは、中国四千年の歴史上の傑物が勢ぞろいしても解決できるようなものだったとは思えません。
 とにかく中国人民は外国というものを嫌悪していて、そうであるがゆえに「外国の傀儡ではない、中国人による近代国家・中国」を切望しています。
 しかし、近代国家でない以上列強諸国に対抗できるはずはなく、列強諸国に対抗できるように近代化を果たすには外国勢力の力を借りるしかありません。でも、外国勢力の力を借りれば、それがどの国だろうと関係なく、その事実が統治の障害になってしまう。
 この矛盾を解決しなければ中国で安定した統一政権など樹立できず、そしてその矛盾を円満に解決するような方法はなかったと言って良いでしょう。

 この問題に有効だったアプローチは、開き直って大っぴらに外国勢力の力を借りて統治を断行する力技(国民党)か、徹底的に外国との関係を否定/秘匿し外国はあくまでも「敵」として利用する(中国共産党)か、「統一」を諦めて手っ取り早く部分的・地域的に安定政権をでっち上げる(日本)かの3つです。
 史実から結果論だけを述べるならば2つめの方法が最も有効だったと言えるわけですが、日米中三国の協力関係を樹立して戦争を防ぐという観点から評価すると選択肢にすらなりえません。この方法では対ソ戦への備えが崩壊してしまう以上、日本が納得しませんし、そもそも対抗(利用)すべき「敵国」が存在しなければやはり中国を統一できないからです。
 中国の感情を考えれば3つめもあり得ません。一時的にそういう状態になってしまうのは仕方ないにしても、外国勢力が絡んで意図的に行うのであれば中国人の目から見る限りそれは単なる国(中国)の切り売りでしかないからです。
 で、一つ目の選択肢になるわけですが、外国が中国の「味方」として安定政権樹立に介入するには、中国と介入者の共通の敵が必要不可欠です。それが存在しなければ中国人民の外国嫌いを納得させられないからです。

 日米中の三国が一致するために共通の敵になってくれそうな相手が必要になるわけですが、三者が断固たる決意で手を組むのであれば、外国では国力から言っても地理的条件から言ってもソ連ぐらいしかありません。ですが、ソ連にとって間接的な介入手段である中国共産党が存在する以上、わざわざ積極的に敵役を演じてくれるはずがありません。
 では中国共産党を敵として…というと、これも成功は期待できません。
 何故なら、仮に中国共産党が現代のアルカイダやタリバンみたいな危険な存在だったとしても中国人にとっては中国共産党は中国人であって、彼らを外国勢力とともに討伐するのは、中国人から見れば外国の手先として同胞を迫害しているに過ぎないからです。つまり中国共産党を共通の敵としたのでは、中国人にとっての外国に過ぎない日本や米国は「中国の味方」になれない。そして、日本や米国と手を組む政権/軍閥も同様に外国の走狗と見なされ、政治的支配力を失ってしまう。
 結局、国民党が共産党に敗れて台湾に追い出されてしまったように、どういう経緯をたどるにしろ最終的に中国で存続することが絶望的になってしまいます。

 日米中、どの国も中国の安定政権樹立を望んていた点は共通していると思います。そして、その利害は一致する可能性を持っていたと思います。
 しかし、当時の状況から三者が相互の信頼を獲得し、協力関係を樹立するのは非常に困難だった(不可能に限りなく近かった)と言わざるを得ません。
 中国が外国の力を借りて安定政権を樹立するには、別の敵国が必要であり、日米中の三国でその関係を割り振るとすれば、日米のどちらかが中国の敵にならざるを得ません。そして、日米のどちらかが中国の敵になるとしたら、すでに中国に少なからぬ支配地域を広げている日本が選ばれるのは必然です。


> (そういう意味で、「職業軍人は国家意思決定に従って行動する役人だから開戦の責任は無い」とは言い切れないところがあります)。

 先のスレッドでの私の発言に絡んでくる内容なので、一応「弁解」しておきます。
 私も日中戦争が日本陸軍(特に関東軍)の暴走によって生起したものであることは理解していますし、当事者である関東軍の将校らは戦争犯罪人として裁かれる以前に、大逆罪に問われても文句を言える立場ではないでしょう。
 先のスレッドでの私の発言は真珠湾作戦の立案者である山本五十六の立場と対米開戦の責任の所在の関係を説明したものであって、日本帝国陸海軍の全将兵に全く責任がなかったと主張する意図があったわけではありません。
引用なし
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長文ありがとうございます
 ささき  - 14/6/14(土) 4:48 -
  
明察な考察ありがとうございます。
論理的に日中米の利害が一致する可能性は存在したが、それは
日中米の3国がいずれも「あり得ない」と感情的に否定して検討の
選択肢にすら加えないような可能性でしかなく、その感情的否定は
3者間の根深い不信に基づいており、その不信の種は過去数十年、
下手をすると数千年に遡る歴史の上に築かれたものであり、一朝一夕に
「昨日までのことは水に流して、みんなで前向きな未来を考えようじゃ
ないか」と言ったところで説得力も現実性も無いものだったと。
目前に3者共通の大きな脅威があれば、ご都合主義的にでも3者の
歩み寄りがあったかも知れないが、日米中は共通の敵を持つことすら
できなかったと。
…だからと言って、すべてを「仕方のなかった」ことで片付けるわけ
ではなく、もっと努力すべきこともあったし、日中米なかんずく日が
「3者共存の将来的可能性」を真面目に考えるより、目前の利益を
刹那的に追求してたびたび攻撃的軍事行動を起こしたことにより、
自体をより深刻に悪化させた責任は否定できない、という趣旨と
理解いたしました。

> > (そういう意味で、「職業軍人は国家意思決定に従って行動する役人だから開戦の責任は無い」とは言い切れないところがあります)。
>
>  先のスレッドでの私の発言に絡んでくる内容なので、一応「弁解」しておきます。
>  私も日中戦争が日本陸軍(特に関東軍)の暴走によって生起したものであることは理解していますし、当事者である関東軍の将校らは戦争犯罪人として裁かれる以前に、大逆罪に問われても文句を言える立場ではないでしょう。
>  先のスレッドでの私の発言は真珠湾作戦の立案者である山本五十六の立場と対米開戦の責任の所在の関係を説明したものであって、日本帝国陸海軍の全将兵に全く責任がなかったと主張する意図があったわけではありません。

了解いたしました。
ただ私の発言は、私自身が「職業軍人とは畸形ではないのか」というじゃま氏の
発言に対し「軍人は原則として国家意思決定に従い合法的に暴力を行使する
組織であり、それを畸形と呼ぶなら畸形かも知れないが、戦争における暴力的
行為の責を軍人のみに帰するのは適切ではない」とした発言に対する補足の
意図を込めています。

前スレッドの趣旨である真珠湾攻撃や、その目的である対米開戦の決定は
(その決定の是非は置いておくとして)曲りなりにも国家意思決定プロセスを
経て承認されたものであり、1軍人が独断で起こしたものではないと理解
しているのでそのような発言になったのですが、対米戦争に至るまでの
日中紛争においてはしばしば一部関東軍将校の暴走的独断によって事変が
拡大してきた経緯があるとも理解していますので。
ただそうであったとしても、大日本帝国が彼等を処罰し事変を収拾する
努力を放棄し、むしろ彼等に引きずられるかたちで事変にのめり込んでいった
責任もあります。
(結局皆んなが悪かったんだから水に流そうや、という主張をするつもりも
ありません。じゃあ誰が悪かったんだと悪者探しをして断罪したところで
過去は変わらず詮無いことですが、せめてこれを教訓として未来にこんな
ことが起きないよう再発防止に努力するのが後世に生きる我々の義務だと
考えています)
引用なし
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適当な事を云っちゃダメよ
   - 14/6/14(土) 13:47 -
  
> 当時の中国大陸にはさしたる資源も無いし、貧しい農村が多くて市場としての価値もない。

産業の根幹である日本の製鉄業は八幡製鉄所開設以来、中国の鉄鉱石と強粘結炭に大きく依存し、これが無ければなければ日本の製鉄業は成立しえないものでした。また、戦前、市場としての中国は日本にとって非常に大事なものでした。大戦前、ナチスドイツが日本と中国を両天秤にかけたのもそれだけ、中国の資源と市場が貴重だったからです。そもそもじゃまさんの議論は前提が間違っているのですから、幾ら議論しても話がかみ合いません。
引用なし
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武漢三鎮
 じゃま  - 14/6/14(土) 16:59 -
  
> > 当時の中国大陸にはさしたる資源も無いし、貧しい農村が多くて市場としての価値もない。
>
> 産業の根幹である日本の製鉄業は八幡製鉄所開設以来、中国の鉄鉱石と強粘結炭に大きく依存し、これが無ければなければ日本の製鉄業は成立しえないものでした。また、戦前、市場としての中国は日本にとって非常に大事なものでした。大戦前、ナチスドイツが日本と中国を両天秤にかけたのもそれだけ、中国の資源と市場が貴重だったからです。そもそもじゃまさんの議論は前提が間違っているのですから、幾ら議論しても話がかみ合いません。

姫 さま
レスありがとうございます。

>市場としての中国は日本にとって非常に大事なものでした

市場として価値を認めるなら、まさにドイツが検討したように、対中宥和を図るほうが、容易だったように思うのですよ。
三池、高島の炭鉱からは、イギリス炭の次ぐらいに上質な石炭が出ていた。
このあたりで、姫 さまのご意見があるのですね。

製鉄のことは、大治鉄山、萍郷炭鉱のことをおっしゃっているかと思います。
それで、
>武漢三鎮攻略以後は、戦略目標も無くなってしまった
と考えた次第であります。

もともと、大治鉄山は、1904年以来、日本からの借款で運営できていたので、安価な鉄鉱石の提供を義務付けられた結果、漢陽製鉄所は経営破綻している。
既に日本の思い通りになっていたのではないでしょうか。

「ピストン作戦」と称する牽制作戦を繰り返して消耗を続けたり、
四十万の大軍を投入して大陸打通作戦を試みるとか、
南方の苦戦のさなか、ずいぶん余裕があるものだという感じがします。
レイテ決戦の真っ最中に参謀長以下東京に飛来して重慶進撃を上申するとか、
そのあたりがわかりません。

重慶は日本軍の根拠地たる漢口から700キロも離れていて、地上軍の進撃がおぼつかないから空襲をやっていたわけで、またそれを持ち出している。
支那派遣軍と南方軍という、ふたつの外地軍の勢力争いのように思うのですが、
いかがでしょうか。
引用なし
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目的と手段と結果
 ささき  - 14/6/15(日) 5:30 -
  
> > 日本:「日本の生命線」と内外に喧伝した満州の保全が日本帝国の命題ですが、満州保全のために中国へ武力侵攻する必然性はよくわかりません
>
> わたしも、どうして日本が大陸に大兵力を展開していたのか、わからないでいますし、人にも説明できません。
(中略)
> その上で戦争をやれば、戦時需要ができて、全て解決できる。
> WW2は必然だったかもしれない。

日本の中国侵攻は結果的に国内景気の回復につながりました。京都で呉服屋をやっていた友人の御祖母が「中国で戦争が起こると、今まで売れなかった高価な着物がどんどん売れるようになって儲かった」と語っていた、とまた聞きしたことがありますし、これに類する話はあちこちで目にします。

ただ、それはあくまで結果論であって、「経済効果を狙って戦争を起こした」わけではないでしょう。日本にとって中国は(物凄く身勝手な話ですが)資源産地であり製品輸出国でもあって、その中国が各種勢力の勃興と内戦を繰り返す政情不安にあり、たびたび起こる外国人排斥運動で日本人居留区も襲撃を受け、それら反日勢力を鎮圧し日中関係を安定させることが目的で、その手段が軍事力の行使=戦争だったのではないでしょうか。
直結すると「経済効果を狙って戦争を起こした」ことになりますが、中国に安定した親日政権が出来るのであれば方法論は戦争でなくても何でも良かったはずです。しかし日本は現地関東軍の暴走にも引きずられて安易な方法論=戦争に走ってしまい、それは短期的には経済的効果をもたらしたけれど、長期的には中国内の反日勢力増加を招いたばかりか、アメリカを筆頭とする西欧諸国からも総スカンを食うことになった悪手でした(その結果が前スレッドの真珠湾攻撃=対米戦争です)。

> おもしろいことに、どの国でも産業革命をやると、かならず人口が増えるんですよ。
> 農村の余剰労働力は都市に移動すればよいが、都市で労働需要が無ければ行きどころがなくなって、スラムができたりする。
> 日本も、その例にもれず。
>
> だから、余剰労働力たる農家の次男坊、三男坊を大陸に送って自弁させていた、というのが支那派遣軍の実態だったのではないか。

日本の場合、以前から「余剰労働力たる農家の次男坊、三男坊」の海外殖民をやっていたことはご存知かと思います。ハワイに農業労働者として移民したり、ブラジルに開拓農民として移民したり。ただこれらの殖民運動は問題も多く、殖民先の日系人は劣悪な労働条件や人種差別で辛酸たる御苦労をなさっています。
日本が宗主国の立場にある殖民地が作れれば、こんな苦労は一挙に解消するはずです。そしてそれを実現した(筈だった)のが満州国でした。日本で職にあぶれる余剰労働力を満州国に開拓農民を送れば少なくとも自給自足の生活、あわよくば農産物輸出で利益まで上げられる(日本帝国にとっては格安で食料資源が輸入できる)体制が作れる目論見でした。

これに対し「中国で戦争を起こし、そこに兵隊を送り込んで現地調達でメシを食わせる」というのはいかにも効率が悪い方法です。食料だけは現地調達できても被服も兵器も税金調達の持ち出しです。戦死傷者が出れば遺族年金や傷痍保障も払わなければなりません。最初からそれ(戦争による経済活性化と国内食料需要の減少化)が目的だった、というのは私には納得しかねる仮説です。

それでは何故「満州自衛」というにはあまりにも多くの派遣軍を送り、満州国境からはるか離れた奥地まで戦争の手を広げたのか、というのは私にもわかりません。バカな話ですが、手段が自己目的化してしまったのでしょうか。
引用なし
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公共事業としての戦争は成り立たない
 おうる  - 14/6/15(日) 13:32 -
  
 あらかじめ断っておきます。人道とか倫理とか道徳とか平和主義とかいう観点や尺度はここではあえて無視します。このレスを読む人もここに返信をぶら下げる人もそのつもりでお願いします。

 
 「戦争が公共事業として経済を活性化させる」という話は軍人、軍需産業関係者やミリオタの中にはいかにも説得力のある話として信じている方もいらっしゃいますが、現実にはそんな話は成立しません。
 「戦争」ではなく「軍事」は規模次第では確かに公共事業として経済に寄与することはありますが、適正な規模を超えると逆に経済を圧迫します。
 また、「戦争」であっても短期的には経済を活性化させる場合がありますが、多くの場合長期的にみると経済効果はマイナスになる傾向にあります。
 さらに言うと、長期的に経済効果を及ぼす場合が無いわけではありませんが、それには条件があり、その条件は近代以降ではほぼ成立しなくなっています。

 経済の本質はモノの流れであり、需要と供給の連鎖によって成立しています。
 大きな需要があればそれに対応した供給がなされ、供給者は利潤を得て更なるさらなる供給のために需要を作り出す。
 戦場や軍が巨大な消費者となって需要を作り出すことから、そこに供給者たる産業が対応し、経済が活性化していく・・・というのが、「戦争は公共事業」という考えの根拠となっています。

 しかし、経済の本質は厳密に言うと、モノの「流れ」ではなくて「循環」なんですよ。ミクロ的には「流れ」で間違っていないんですが、マクロ的には「循環」として捉えなければいけません。

 供給される物資は消費されるだけではなく、消費した物資を糧に労働力等の資源を別の需要に対して供給することで循環し、その連鎖が経済の流れを維持するのです。
 「(戦争ではない)軍事」の場合は、軍が税金を使って様々な物資を消費し、それを糧に「安全」を供給することで経済に寄与します。軍が平時に供給できる「安全」にはこれ以上は無いという限界が存在するので、軍の消費規模が大きすぎると経済を圧迫してしまいます。

 これが戦争になると話が特殊になっていきます。
 戦争は大量の物資や人命を消費しますが、その消費を糧に供給できるものがあるかというと、あまりありません。
 大昔のような侵略/略奪を目的とした戦争であれば、投資に対して利益が得られるわけですから公共事業として成立する可能性が出てきます。
 戦国時代末期や十字軍遠征前夜の中世欧州のように、戦う事しか知らない武人が堅気な仕事もせずに食うに困って大量にあぶれている状況であれば、その武人たちは存在そのものが社会不安の元凶になってしまうわけですから、それをかき集めて戦場に送り出して、その人命を消費することで社会不安を減少させることによって経済に貢献する…という話も、マルサス主義的ではありますが一応成立します。

 しかし、戦争が公共事業として経済に貢献するのはそれだけなんです。

 戦争は大量の消費をもたらしますが、供給はしません。特に、侵略や略奪がタブー視されるようになった近現代ではなおさらです。
 大量にお金を使って大量に消費し、大量のモノを流して経済を活性化させても、そこに消費を上回る何かが供給されなければ、やがて経済全体がしぼんでいくのです。
 家庭用流しそうめん機の電源を入れれば、そこでそうめんを流すことはできますが、そこで消費される分だけのそうめんを注ぎ足さなければ流れるそうめんの量は減っていかざるを得ません。
 大量の消費によって強引にモノを流通させても、そこで循環するモノの総量が減っていけば、結局は経済規模そのものが縮小してしまうのです。
 つまり、戦争では循環するモノの総量が必ず減少していくので、たとえ自国が敵国の攻撃による被害を全く受けなかったとしても、略奪等によって新たな何かが供給されない限り、経済全体としては必ずマイナス効果を及ぼしてしまうのです。

 戦争経済の政策の実態とは、「戦争によって経済を活性化させる政策」ではなく、「戦争による損失に経済が耐えるようにする政策」「経済が受ける戦争の影響を局限する政策」なのです。

 では日中戦争が公共事業だったのか?というと、それは明確に否と言えると思います。
 対米開戦は南方資源獲得が明確に目的になっていたので、公共事業としての側面があったと主張することはできるでしょう。日本の経済を維持するために必要だった資源を断たれ、それを自前で獲得することは経済そのものの命脈を保つために必要な事業として位置付けることが可能です。
 現に南方進出とそれによる資源獲得は急増とはいえ計画があり、それなりの準備がなされました。戦争をどうやって終わらせるかという目標は全くありませんでしたが、不敗体制を築くという戦争の中間目標のようなものは一応ありました。
 それは事実上の侵略/略奪戦争だから、成功しさえすれば経済に寄与するので「公共事業としての戦争」は成立します。

 しかし、日中戦争はそうした目的がありません。計画性も準備もありません。

 政府のあずかり知らぬところで突然始まり、収束の目途もなく、状況に流されるまま行き当たりばったりで、収拾もつかないままなし崩し的に拡大していき、政府は状況に対応しきれていませんでした。
 計画性が無い以上、それはもはや事業ではありません。
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戦争に至るまでの道のり
 ダッチ・カイザー  - 14/6/15(日) 17:18 -
  
皆さん、コメントありがとうございます。

日中戦争から太平洋戦争に至るまでの道のりが一朝一夕でどうにかできる問題ではなかったのですね。さながら石原莞爾の「ペリーを連れてこい」とはいかないまでも、太平洋戦争→日中戦争→満州事変のように大陸政策の連続性を無視することはできない。各国の思惑なども考慮に入れる必要もあります。歴史・政治・軍事・経済の様々な視点から考えることの必要性を改めて感じました。
コメントを下さった皆様に重ねて感謝申し上げます
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