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「英空軍の爆弾搭載量要求は日本陸軍と変わらないかそれ以下である。」
「日本爆撃機に対する離陸滑走距離要求は欧米と同等かむしろ甘い。」
以上のことは納得できると思いますが
それではどうして欧米爆撃機と日本爆撃機の爆弾搭載量の差が生じたのか。
その最大の理由は設計された時期の違いにあります。
ウエリントンも九七重爆も陸攻もB-25も、
同じ時期に活躍してはいますが、試作年度がかなり離れているということです。
ウェリントンの試作要求は1932年のB.9/32に始まるもので、
九七重の試作は昭和11年3月11日付の航秘第三二五号「新重爆撃機試作ニ関スル件達」で開始されたもので、
一式陸攻は昭和12年10月に計画要求書が交付されています。
さらにB-25は1939年のcircular proposal No.39-640で要求仕様が決められています。
ウェリントンよりも九七重、一〇〇式重、一式陸攻が爆弾搭載量や航続力で
やや優れている理由は、ひと世代後に設計されているからだ、とも言えますね。
B-25は高性能を狙うB-26の保険的な存在ですが、
B-26共々、1939年に試作が開始されたかなり新しい世代の爆撃機と言えます。
そしてB-25の爆弾搭載量が日本重爆、陸攻より大きい理由は
circular proposal No.39-640がドイツの高速爆撃機計画、
すなわちJu88の計画に対抗するためのものだったからです。
ドイツに滞在していたリンドバーグ等が帰国してこの情報を伝え
爆弾3000ポンド航続力2000マイルの爆撃機に対抗するという方針が生まれます。
対仏戦用の戦略爆撃に備えた高速爆撃機Ju88の計画は
ドイツ航空工業の過半を動員する大計画でしたから対抗する必要があり、
1938年当時のドイツでは爆弾搭載量は1500kgは欲しいと考えていたということです。
1938年頃から新爆撃機の爆弾搭載量が1500kg/3000ポンド程度になっていたのであれば
日本はどうだったのでしょう。
やっぱり同じように爆弾搭載量の要求が増大しているのです。
昭和13年、海軍の飛行機の機首と性能を定めた「航空機種及性能標準」は
中型陸上攻撃機に対して1500kgの爆装、雷装を考慮するよう定めています。
これは十三試以降の中攻はこれだけ積めるように作る、ということです。
こうした要求は昭和18年には中攻で最大3000kgにまで増大します。
でも、海軍には十三試以降の実用中攻が無いですよね。
だからそれ以前の実用機の要目だけが目についてしまう訳です。
B-25、B-26はドイツの高速爆撃機計画に対応して仕様が定められているので
計画値が1500kgを目標としているということですが、
未亡人製造機として悪名高いB-26の離陸テストは
たった2800フィート(853.4m)の滑走路で行われており、
翼面積増大の後は1800フィート(548.6m)でこと足りたという点も見逃せません。
「600m以内」の離陸距離要求は当時として
少しも異常なものでは無く、そうした要求が爆弾搭載量に影響した形跡はありません。
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