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> 米陸軍はP38,P47,P51と速度も足もある「陸上戦闘機・重戦闘機の部類」を次々繰り出してきたわけですが、これらは開発当初においては大戦中に威力を発揮した航続力を持って設計されたのではないと言われます(P38は日本の局戦のような、P47は高高度戦闘、P51は低高度侵攻・対地攻撃がコンセプトだったとか)。これが結果的に足も持てるようになったのは全て発動機のおかげと思われます。機種統合によって生産合理化・開発力アップを果たした仮想統一空軍に於いても、結局は速度も足もある陸戦としては2000馬力級戦闘機を待つしかなく、その出現が早まるのを夢見るしかなさそうです。
航続力に関しては、海軍で十四試局戦の先にあるものとして考えていた陸上戦闘機(昭和18年2月の性能標準軍令部案でいうところのB戦闘機のようなもの)は艦戦と同等の航続力を持つものとして設定されています。
史実の陸軍の三式戦、四式戦なども太平洋方面での使用を想定せざるを得なくなった時点で、航続力の延伸策が持ち込まれています。三式戦の「空戦時バランスが悪くなる」といわれてしまった後部胴体内タンクであったり、当初はあまり考えられていなかった四式戦への落下タンク装備であったり、です。
こうした部分は、海軍の要求がクリアできる機体があれば陸軍の作戦に使える、というところに入ってくる話だと思います。
史実の川西十七試陸戦がうまくいかなかった経緯からいえば、それは2000馬力ではなく2200馬力のものだった、という気もします。
同じく史実の陸軍でも、海軍十四試局戦を2200馬力のハ二一一に換装して性能向上させたものを自軍の重戦として使おうとしていました。
それくらいのパワーで大航続力の過荷重を支えるという計算はどこか共通していたのではないかと思うところです。
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