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真珠湾攻撃は果たして成功と呼べるのか 長門 14/4/21(月) 13:31

起こらなかった歴史の評価は難しい ささき 14/6/2(月) 5:34
┗ 「御前会議」大江志乃夫 じゃま 14/6/2(月) 19:18
┗ 論理の飛躍 ささき 14/6/3(火) 5:13
┗ Re:論理の飛躍 じゃま 14/6/3(火) 7:54
┗ 補足するならば ささき 14/6/3(火) 11:06

起こらなかった歴史の評価は難しい
 ささき  - 14/6/2(月) 5:34 -
  
アメリカ合衆国に10年以上居住し、「トレンチャラス・アタック」だの
「デイ・オブ・インファミー」だのをさんざん聞かされてきた私としては、
結果論として真珠湾は米国民の世論を一気に参戦側に傾けたというじゃまさんの
見解にはおおむね賛同いたします。そのうえでしかし、1940年末の段階で
対米戦争を避ける選択が可能だったのか、対米戦争が不可避であるならば
真珠湾奇襲をやらない選択が可能だったのか、という問いに答えるのは
難しいと感じています。

> アメリカは日本との戦争に踏み切るか、ためらったでしょうね。
> 対独との二正面作戦になるからです。

しかし、アメリカの対独参戦は時間の問題だったと思います。
そして日独伊三国同盟がある以上、アメリカが対独開戦すれば日本も戦争に
巻き込まれる可能性は非常に高いです。
三国同盟の条文では「攻撃を受けた場合」の相互援助義務が定められて
おり、ドイツがアメリカに対し宣戦布告した場合は日本がそれに呼応する
義務はないのですが(独ソ戦に際して日本が対ソ戦に参加しなかったように)、
アメリカがドイツに対して宣戦布告した場合、日本はこれを座視できません。
仮にドイツ側が先に宣戦布告し、日本側が条文を建前として対米開戦を
控えたとしても、三国同盟がある以上日米関係はますます悪化するでしょう。

同盟を無視ないし破棄して中立を維持するという選択も理屈としては
可能ですが、当時の状況でそれを選ぶのは非常に困難であったろうと思います。
もともと中国問題で世界の総スカンを食って国連の椅子を蹴り、藁にもすがる
思いで頼ったのが三国同盟ですから、その「総スカン」の最先鋒であった
アメリカが日本を攻撃してこないことを信じて藁を自ら手放すことができるか
どうか?

> >>  真珠湾攻撃は対米開戦するうえで、欠くべからざる作戦であったことは疑いようがありません。
>
> いや、それが間違っているので。
>
(中略)
>
> 井上成美が言っていたように、「油が無ければ、買ってくればよい」のです。

買えるものなら戦争など起きなかったと思うのですが…。

ハルノートを突きつけられている以上、中国から撤兵しなければもはや米国は
石油を売ってくれません。仮に中国から撤兵しても、米国が石油を売り続けて
くれる保証などどこにもありません。もしハルノートをやり過ごしたとしても、
独米戦が勃発すればアメリカはおそらく一方的に日本への資源輸出を止める
でしょう。

ソ連も英国も対独戦争の真っ最中ですし、その敵国ドイツと同盟を結んでいる
日本に石油を売ってくれるほどお人好しではないでしょう。
同盟相手のドイツもイタリアも自分自身がピーピー言っている有様で、
これまた日本に石油を売ってくれる見込みなどありません。

…よくもまぁ、こんな八方塞がりの状況にまで追い詰められたものだと
思ってしまいますが(あるいは自ら選んだ選択がどんどん自分の首を
締めていったとも)、1940年末の段階では、今までやってきた事
(大陸進出、三国同盟、ノモンハン、仏印進駐)を全部無かったことにして、
「ゴメンなさいもうドイツとは縁を切りました、中国からも仏印からも
撤退します、これからはおとなしい良い子の日本になりますから石油を
売ってください」とでも言わなければ、「買ってくればよい」というわけ
にはゆかないのではないでしょうか。

そして破れかぶれだろうが何だろうが対米戦争をやるならば、南方展開に
あたって目の上のコブになるとわかりきっている真珠湾の米海軍艦隊に
あえて手を出さないというのも、これまたかなり難しい選択ではないかと
思います。
(もっとも開戦直後に洋上艦隊決戦やってボロ負けに負けていれば、
日本の軍部・政治家の継戦意識も揺らいだでしょうし、アメリカ側と
しても「クソ生意気な黄色い猿が仕掛けてきたが返り討ちにして
やったぜ」と溜飲を下げるでしょうから、結果的に史実より早く、より
少ない被害で終戦になっていた可能性もありますが…しかし、それが
日本国民や日本国にとって良い歴史につながったかどうかもまた
「起こらなかった歴史」です)
引用なし
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「御前会議」大江志乃夫
 じゃま  - 14/6/2(月) 19:18 -
  
対米戦となれば、ほぼ確実に負けることを海軍は知っていたと言われる。
しかし、今さら「できない」とは天皇と国民の前で言えなかった。

開戦前、天皇が支那方面の戦況がはかばかしくないことを板垣征四郎に質し、
「支那の奥地が広いと言うなら、太平洋はなおさら広いではないか。
如何なる確信あって5ヶ月と申すか」
と激怒したという。

「日本海軍 400時間の証言」というNHKの放送や本があってごらんになった方も多いと思いますが、非常に不愉快でした。
当時の将官が「あのときは、あれで仕方なかった、だから俺たちは悪くない」
と開き直っているからです。

米国と対戦して勝てる見込みなどまったくなかった。
狂気の沙汰だった。
職業軍人とは一種の畸形ではないか。
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論理の飛躍
 ささき  - 14/6/3(火) 5:13 -
  
> 対米戦となれば、ほぼ確実に負けることを海軍は知っていたと言われる。
> しかし、今さら「できない」とは天皇と国民の前で言えなかった。
> (中略)
> 米国と対戦して勝てる見込みなどまったくなかった。
> 狂気の沙汰だった。
> 職業軍人とは一種の畸形ではないか。

軍隊はお役所であり、職業軍人は役人です。そして国家意思決定機関から下例された命令には自他の生命を省みずに従うのが軍人です。それを奇形と呼ぶなら奇形なのでしょう。
戦前日本にはその「国家意思決定機関」すなわち内閣に多くの職業軍人が参画していたという事実もありますが、ならばその軍人たちはどのようにして政権に入り込んだのでしょう?武力に訴えて政権を奪取したわけではありません。2.26事件も5.15事件も制圧され責任者は処罰されました。

いわゆるタカ派軍人が「欧米何するものぞ」と鼻息の荒い論調で日本を戦争へ導いたことは否定しませんが、その背後で「そうだそうだ」「やっちまえ」と調子を合わせていたのは日本国民そのものであり、戦後はすべて「軍部」が悪かったことにして「自分達も被害者だった」と言い逃れている節は感じませんか?私はそう感じています。ゆえに、対米戦争の責任を「職業軍人」に問おうとするじゃまさんの主張には論理の飛躍を感じます。
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Re:論理の飛躍
 じゃま  - 14/6/3(火) 7:54 -
  
> いわゆるタカ派軍人が「欧米何するものぞ」と鼻息の荒い論調で日本を戦争へ導いたことは否定しませんが、その背後で「そうだそうだ」「やっちまえ」と調子を合わせていたのは日本国民そのものであり、戦後はすべて「軍部」が悪かったことにして「自分達も被害者だった」と言い逃れている節は感じませんか?私はそう感じています。ゆえに、対米戦争の責任を「職業軍人」に問おうとするじゃまさんの主張には論理の飛躍を感じます。

おっしゃるとおり、ですね。
これはわたしが悪い。
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補足するならば
 ささき  - 14/6/3(火) 11:06 -
  
> > いわゆるタカ派軍人が「欧米何するものぞ」と鼻息の荒い論調で日本を戦争へ導いたことは否定しませんが、その背後で「そうだそうだ」「やっちまえ」と調子を合わせていたのは日本国民そのものであり、戦後はすべて「軍部」が悪かったことにして「自分達も被害者だった」と言い逃れている節は感じませんか?私はそう感じています。ゆえに、対米戦争の責任を「職業軍人」に問おうとするじゃまさんの主張には論理の飛躍を感じます。
>
> おっしゃるとおり、ですね。
> これはわたしが悪い。

しかし対米開戦の是非はとりあえず置いたとして、もし戦争に負けたらどうなるのか、負けたらどうするのかという検討が真剣になされていない(と私には思える)のは、戦争のプロである職業軍人の職務怠慢として批判されるべき点かもしれません。勝てないかもしれない・負けるかもしれない強大な国家を相手に戦争を始めるにあたり、「負けたらどうする」というプランがほとんど無いというのはあまりに杜撰だったのではないかと思います。
あるいは私が不勉強なだけで何らかのプランがあったのかも知れません(よく言われているのはソ連の仲介に期待していたという話ですが)、史実でそれを実行に移せなかったのはご存知の通りです。

私の見解をまとめると、

対米戦争は不可避であったか?
回避が不可能だったわけではないが、1941年末の段階では非常に困難な状況にあったと思います。仮にハルノートを飲んで中国から撤兵してもアメリカが石油を売り続けてくれる保証はなく、日独伊三国同盟がある以上日本は常にアメリカの仮想敵国であり、石油・鉄鋼の禁輸やアメリカ側からの日本への宣戦布告はいつでも起きる可能性があったと考えます。そして20年近くにわたって国費と流血を注いできた中国からの撤兵は日本国民にとって受け入れがたいものであり、それを断行すれば暴動・クーデター・経済破綻などが起こる危険があったことが、日本が対米開戦に踏み切った理由の1つであると考えます。

対米開戦は必然であったか?
もしあんな結末になると判っていれば、クーデターや経済破綻などのリスクを侵してでも対米開戦回避に努力したであろうと私は考えます。しかしそれはあくまで結果を知っている後世の後知恵であり、当時の軍部・政治家・国民にその視点が欠けていたことをもって責めるのは酷ではないかと思います。

真珠湾攻撃は成功であったか?
戦術的には一定の成功を収めた作戦であったと評価すべきでしょう。ただしアメリカ国民の半日感情を爆発させ、アメリカ世論を参戦に傾けたばかりでなく、生半可な条件では講和を受け入れられない状況を作り出してしまったことは大失敗であったといえるかもしれません。

他にどんな選択肢があったのか?
「起きなかった歴史」の評価は難しいです。仮にハルノートを受諾していたとしても、それで対米戦争が回避できた保証はありません。もちろん回避できた可能性もありますが、そこから先は水掛け論になってしまいます。
ただし、対米戦争が当時としては「多分にやむを得ない」選択だったとしても、「負けたらどうなる・どうする」という具体的方策が曖昧であったことは批判されて然るべきではないかと思います。
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