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ドボワチーヌD520戦闘機の実力 備後ピート 14/5/13(火) 20:05

Re:ドボワチーヌD520戦闘機の実力 超音速 14/5/22(木) 1:24
┗ 戦間期フランス じゃま 14/5/25(日) 20:36

Re:ドボワチーヌD520戦闘機の実力
 超音速  - 14/5/22(木) 1:24 -
  
私は主に外形からいろいろ評価してみます。全長8.6mという小ささとイスパノスイザエンジンはソ連のYakやLaGG-3までと共通していますね。
武装はモーターカノンが特徴ですが20mmの弾が60発しかないのが不安です。ですがYakには37mmモーターカノンまであり、強化の余地はありそうです。
かなり後方に位置したコクピットがカーチスXP-37やメッサーシュミットMe209V1・F4Uコルセアを思わせます。前下方視界が心配ですがF4Uが艦戦として運用されたことを考えれば意外と問題はないかもしれません。しかしホイールトレッドが狭いため着陸が難しそうです。
エンジンの後ろに燃料タンクがあるのはF4Uに似ています。この燃料タンク配置は被弾率が低いと思われます。また、かなり容量があるらしく欧州戦闘機としては航続距離は長めです。容量のわりに表面積の小さいタンクは防弾対策をとっても容量低下や重量増が少なく有利です。
ラジエーター配置はハリケーンと似た配置です。当初両翼下の二つのラジエーターを空気抵抗低減のためひとつにまとめ胴体中央下に配置したので、この位置にハードポイントを設けられないことになります。しかし両翼下にハードポイントを設けられればそれほど欠点にはならないでしょう。主翼は飛燕同様の丈夫そうな一本桁で、急降下で825km/hという記録もあり頑丈さが伺えます。ハードポイントの設置も難しいことではないように思います。
運動性・操縦性は、翼幅がドイツ・ソ連機より広いこと、コクピット位置がエルロンよりかなり後ろにずれていることからロール性能は比較的良くないと思われますが、コクピットと尾翼が近く方向舵・昇降舵の反応は良さそうなので、ロール性の悪さを補えると想像できます。
エンジンは旧式で出力で劣っており、しかも過給機が貧弱なので高高度性能は推して知るべしです。発展性はどうかというと、同じくイスパノスイザ12Yから発展したソ連のクリモフは1280hpのVK-105PFを量産しています。苦労して回転数を2400rpm→2700rpmに引き上げていますが、ここまでが発展の限界とされています。燃料噴射型HS12Z89(離昇1479hp)を搭載したD.524は独仏停戦前に完成していましたが量産はされませんでした。
プロペラ直径は3.16mあります。また、キャノピーがプロペラからだいぶ離れており、プロペラ後流は十分減速されてからキャノピーに当たるので、プロペラ効率は良好と思われます。低い出力をいくらか補っているんじゃないでしょうか。
総じて欠点はあるが、同じような欠点を持つ戦闘機はいくつもあり、欠点を補う長所も持つ優秀な戦闘機と言えます。ただ発展には限界があり、スピットやメッサーのように大戦後期まで戦うとすれば大幅な再設計を強いられるだろう、というのが私の所見です。
引用なし
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戦間期フランス
 じゃま  - 14/5/25(日) 20:36 -
  
テクニカル・イシューは超音速さんがレビューしておられますので、別のほうを。

WWIにはあれほど華やかだったフランス航空が20年の間にどうしてだめになってしまったかというよくある話です。

 現在のわれわれからすると、いささか信じがたいことですが、ウィルソンもロイド・ジョージもベルサイユ条約のあと、フランスは軍縮するだろうと考えていたといいます。
なぜかというと、ドイツが軍備制限されたから。
そして、イギリスはワーテルローの戦いが終わったあと、ウェリントンの陸軍を大幅に減らした実績があった。

パーキンソンはイギリス海軍省を観察して、戦時よりも平時のほうが人員が増えることを見出して、「パーキンソンの法則」と導いたけれど、あれは結構トリッキーな「法則」かもしれない。

 実際、フランスは大戦で大量の人員と戦費を使ってヘトヘトになっていて、徴兵適齢人口の不足に深刻に悩んでいた。

すでに大戦中に兵力不足を感じていて、ソンム会戦でドイツ軍はザンビアの黒人兵と遭遇して仰天している。

これは不思議ではなく、1863年マネの「オランピア」には黒人のメイドが描かれていて、植民地の労働力を大量に本国へ移送していたことがわかる。
急速に工業化がすすんで、人が足りなかったのですね。

で、フランスが大戦を通じて学んだ、と信じたのは、機関銃と鉄条網と塹壕で構築された陣地は容易に突破できないということ。
航空優勢は、さして戦況には影響しなかった。
ツェッペリン飛行船のロンドン空襲など、イヤガラセ程度の効果しかなく、イギリスが最も脅威を感じたのはUボートだったとチャーチルは回顧している。

だから、マジノ線にこもってじっとしていればよろしい。
引用なし
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